山村フォーラム


山村が過疎の波に洗われてからずいぶん長い時間がたちました。
山村は森林や林業の担い手であります。
山村の活性化に向かって多くの人々が努力をしています。
ここでは具体的な動きについての情報あるいはノウハウの交流の場にしたいと考えております。



最近、山村あるいは国有林を通じ、森林ボランティア活動が盛んに行われています。
そこで、ボランティアに関する情報をできるだけお伝えしたいと思います。
ボランティアについての情報が詳術されている「森林ボランティアの風」をご紹介します。


ボランティア活動をめぐる論議に注目しましょう。



東京代々木公園で開催された森林の市での山村の活躍が目立ちました。一部ですが写真をご紹介します。クリックしてご覧ください。




日本の山村 長野県栄村秋山郷 1994.5 撮影 F.Ozawa


次の文章をご覧ください。昭和2年の高等小学の読本の「山村」の記述です。


面積三方里といへば廣いやうにも聞えようが、九分通りは山である。其の山あひを縫つて左折し又右曲しながら、南から北へ流れ去る大川に沿うて散在する花澤・石原・根尾・川邊・月野といふ五つの山間部落を一村に合わせて川邊村と呼ぶ。これが僕の村である。
どちらを向いても五町・六町、十町とは見渡しのきかぬ山懐に、家といへばやつと屋根の見えるものまでを数の中に入れても、十軒とは一目に見ることが出来ない。唯一番戸数の多い川邊は、真直な新道に沿うて家が四五十軒、いわば此処が一村の中心で、学校もあれば役場もある。豆腐屋・菓子屋・酒屋、さては何でも屋の荒物屋が二三軒、ちょっと町の体裁をしているので、物好きな菓子屋の主人が、入り口の障子に筆太に「川邊町」と書いてから、誰言ふとなく「町」というやうになつたと聞いている。
うぐひすは冬至から鳴くものだ。とよく祖父はいふが、山里に春はなかなかおとづれて来ない。根尾の正林寺に梅の咲く頃も、尚時々雪が降る。東京から来る子供雑誌の口繪を見ると、元日からたこあげやはねつきをしているが、春の遅い山里の少年・少女は、かうした繪をむしろ不思議に思ふ。
春が遅いだけに春がうれしい。谷間谷間の雪が消えて、麦が日増しにのびて行く頃には、土筆が出る、れんげ草が咲く。日が一日一日と永くなって、女の子は摘草、男の子はたこあげに夢中になる。山の木は松・杉・檜のときは木、その他は栗・楢・楓などで、櫻はあまりないが、それでも木の間がくれに咲く一本二本のゆかしい眺めはある。
春も半ばを過ぎる頃から、山村は生気に満ちて来る。楓や楢の若葉が山々にもえ、蛙はおびただしく田の面に鳴く。田起こし、種蒔と次第に忙しくなって、男も女も馬も牛も田畑に出て働く。夏が来て麦の刈り入れも済むと、やがて田植えだ。見渡す限り水の一ぱいはられた田に、親も子も手傳の者も、早苗を手にして一せいに植え出す。喉自慢
の音頭にに合わせた美しい田植歌が、田から田へと流れる。
この頃から、朝はよく草刈に出かける。明けはじめる頃、山裾のくさむらに、あたりの静かさを破って、さくさく、さくさくと切れ味のよい鎌の聞こえる。と思ふと、露をふくんだ草は片端から倒れて、其処にはちまきをした若者か、ねえさんかぶりの少女の姿が現れる。一わたり刈取つて背負つて行く草の中には、きつと山百合の花の二三本がまじつている。
炎天の田の草取りはずいぶん苦しいものだ。胸の辺までのびた稲の中に分け入つて、焼けつくやうな日光を背に浴びながらこごんで取るのである。風のない土用の真昼、稲田の中はむつとする草いきれに、体中が汗びつしょり、額の汗が両眼に流れ込んで盲同様になったところを、いやといふ程稲葉の先で目を突く。湯のやうに熱くなつている泥水に突込んだ足には、何時の間にかたくさんのひるが吸附いている。
田の草取りの手傳いもそこそこに、この頃の午後はよく川遊びをする。青葉がくれの大川筋にさざめく子供の声を聞きつけては、もう魂を奪はれて、一もくさんに川端へ走る。大川といっても幅十間に足らぬ山川、水は浅いから泳は
出来かねるが、それでも処処に、薄い青みを見せてよどんでいる小さい淵がある。ざんぶと飛込んでむちやくちやの犬かき、足を立てても水は肩を越すか越さぬくらいだ。体が冷えて寒くなると、ひなたに背を干しながら浅瀬の一部をせいて、その中にごりなどを放して興がる。
二百十日も無事に済んで、稲の花が何時しか重さうな穂になる頃から、農家は又だんだん忙しくなる。鳴子・かかしが金色の波たつ田の面に立って、群雀は此処から彼処、彼処から此処へと追ひやられる。早稲から順々に刈取られ、到る処に稲掛けが組まれ、やがて農家の内庭に俵の山が一つ二つとふえて行く。
 「今年も豊年だ。氏神様のお祭りには、何でも好きなものを買つてやるぞ。」
と父がほほえむ。僕たちの心の中には、もうお祭の笛や太鼓の音が鳴り響いている。
秋晴の空に見上げる柿のこずえの美しさ。てつぺんにさへずるもずの鋭い声は、狭い山里に響き渡る。山々の紅葉が赤々と夕日にはえて、美しいと思つている中に、朝夕うすら寒くなつて来て、時雨が降出す。せつかく待ちこがれたお祭にも、冷たい雨にちらちら雪がまじつて降ることが多い。
稲がすつかり刈取られて、水一滴も留めず干上つた田は、僕たちにとって其のまま廣い運動場だ。何処をどうはね廻つても叱られる気づかいはない。到る処に取残されてある稲掛けに登つて、透きとほる程すんだ冬の青空を望みながら、唱歌を歌ふ、機械体操のまねをする。雪が降つて一尺二尺と積れば、藁靴をはいて銀世界の田の面を走り廻る愉快さ。「へ」の字「ろ」の字の跡をつけて、まだ興が尽きねば、雪ころがし、雪だるま、雪合戦。
冬の山村は全く子供の天地である。

 注、なるべく原文を忠実に再現するように心がけましたが、漢字や仮名の一部は新書体を用いておりますことを申し添えます。



これからの山村について考えて見ようではありませんか。



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