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「偉大な師」

株式会社井上銘木  井上幾夫
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昭和63年2月、中川さんから電話で「井上君来年度米山奨学委員会へ名前を書いておいたからたのむよ」と言われ否応なしに88〜89年度ロータリー第二六六地区米山奨学委員に任命させられました。

そのあと5月12日開催の最初の地区米山奨学委員会に出席した折、委員長の中川さんから「井上君何もしなくてもよいから委員会だけは出ておいでよ」という言葉がありそれを信じて気楽に考えていたのですが突然のご逝去によって地区米山奨学委員会員で米山月間における卓話などそれぞれが仕事を分担して協力することになりました。

最初の話しとは裏腹にまったく予期しなかった仕事が出来てまいりました。

中川先輩にはずいぶんお世話になりご指導を頂いたお蔭で今日の自分があることを考えた時、なぜかこの仕事が私にとって将来もっと人間としてプラスをもたらせ様と意図的に与えて下さった運命的なお心使いを感じています。

思いおこせば30余年前大青協の会合で、たしか生玉御殿だったと思います。

私が隅の方でポツンと座っているのを見て最初に親しく語りかけて下さり、その輪の中へ引きずり込む様にして加えて頂き仲間の一員として先輩会員の方々に紹介して頂き、二次会へは当時愛用されていた「ヒルマン」の助手席へ乗せて南のクラブでご馳走になったことなど、幾度となく御世話になった思い出は今でも鮮明に覚えています。

大青協が創立された当時、一番若かった23才の私にどんな会合の時でも必ず親しく声をかけて下さり皆んなの話しの輪の中へ入れて下さいました。

この様な暖かい思いやりと面倒見の良さは格別のものを持っておられ、それが中川先輩のお人柄で皆んなが敬愛する所以でもありました。

私も中川先輩にはとうてい及びませんがその教訓を見習い大青協などの会合では出来るだけ自分の方から進んで若い人達、特に相手がなさそうなメンバーを見つけては積極的に話しかけ、努めて「輪」の中へ参加してもらえる様に実践していきたいと常日頃心掛けています。

これが中川先輩から受けた恩恵を万分の一でもご奉仕出来るせめてもの私の道であると信じています。

今この「文」を書きながら偉大な師を失った悲しみが胸をしめつけています。

もうご教授頂けないのが残念でなりません。

しかし私の心の中では永遠に中川先輩は生きつづけられることでしょう。