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先輩の想い出のかずかず

山三木材株式会社  代表取締役社長  角田恒善
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「角田サンおめでとう」「奥サンおめでとう」とあの素晴しい張りのある声を掛けて頂き、ガッチリと手を握っていただきました「中川サン」!!これは昨年五月廿八日、黄綬褒賞受賞式が終って農水省講堂から廊下に出たところのことです。

私達夫婦には、同伴した二男以外こんなところで声を掛けて頂く人などいる筈もありませんし、予測すらしていない矢先の事とて、私達は一瞬旨がジーンと締り、熱いものがこみ上げてきました。

一生忘れられない想い出となるでしょう。

中川先輩はその日、林野庁の会議に出席されて、その間隙をみつけて祝福に来て頂いたもので、いまだに時折話し合っては、中川先輩に感謝しています。

中川先輩との出合いは、随分昔に遡りますが、私達一家が大和から西長堀(今の堀江)に出て参りました昭和二十六年頃と記憶しています。

ご自宅が二・三軒隣りで、その後幼稚園・小学校がご一緒で、奥様にもご昵懇にしていただき、私の妻にも『教会に行かれませんか』とよくお誘いを受けました。

ご承知の様に中川御夫妻は敬虔なクリスチャンでした。

日曜日の朝など二人して「西教会」にお出掛けされる姿をみかけたものです。

古い追憶です。

昭和三十四年頃と思いますが、大阪木材関大秀麗会発足の折、初めて先輩であることを知りました。

私は三重高農(三重大学)のみと思っていたからです。

先輩は千里山学舎、私は天六学舎であった関係上会うことがなかったのでしょう。

夫々昭和十八年十月と十二月に学徒出陣したことなど話し合いました。

昭和三十五年大青協に入会させて頂いたのも先輩のおすすめでそのお蔭で素晴しいメンバーと交友を賜り、未だ同年輩の淺野様、岡本様等たくさんの皆様にも友情を賜っている次第です。

その後府木連、木材会館にも関係させて頂くのもすべて先輩のお導きです。

さてあの日危篤の報に接し淺野様にご一緒させて頂き近畿大学附属病院に参りましたが既に不帰の客となっておられました悲しい事です。

前述以外にも想い出はつきません。

最後に海堀様から教えて頂いた「散る桜残る桜も同じ花」を捧げてお別れします。

私達もいづれ後を追って参りますその時はたくさんお土産話を持って行きます。

ご冥福を祈りつつ