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故中川藤一先輩を偲びて

旧華北保定予備士官学校後輩・関西保定幹戦友会世話人代表
株式会社カワチダニ 代表取締役  河内谷修三
兼松羊毛工業株式会社 代表取締役 弓場実
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想えば昭和63年9月6日突如中川先輩の御訃報に接し「えっ!この間2週間前あんなに元気に二二〇名もの戦友会でお会いし英姿にも接したばかり!そんなことが‥‥」と茫然自失のなかとるものもとりあえずに二人で豊中の奥様の下へ駆けつけた事、一生忘れられません。

只々無念残念でした。

顧り見れば中川先輩との出逢いは9年前に遡りましょうか。

55年の年初め「保定予備士官学校の集会が各地で開催されているのに関西に存在せんとは何事か」と最下級の我々十三期生が使役人となり先輩の各期から御代表に参加願い事前の指導を仰ぐ事になりました。

その中に9期生代表として中川中尉殿が居られたのです。

世話人打合せ集会の場ではあの童顔から想像も及ばない気迫と周致な計画企図を立案せられその緻密な準備に一驚し筆舌に尽し難い御指導と御世話を戴きました。

その例を挙げ出すと尽きる所の無いエピソードの数々ですが我々下級生の意見具申にはあの温顔でじっと耳を傾けて下され要処要処では実に適格な助言と指示を下されそのご発案は誠に当を得たもので自然と世話人会のリーダー的存在として皆が頼りきる様になりました。

彼の草案によって開催された55年の第一回59年の第二回各戦友大会はこんなにもすばらしい戦友会が他にあるだろうかと世話人自体がびっくりする程の盛会裡に終ることが出来ました。

軍用品展示場設営、国防婦人会結成、皇軍慰問団派遣等々‥‥。

すべてにすばらしい企図の網羅でした。

四年毎の第3回大会が愈々63年8月21日開催に決定し「中川中尉殿、今回も 宜敷く願います」と申告した所今回は我々後輩に絶対の信頼を置かれたのか「万事一任」の一言をいただき更には思いもかけず直前になって確か二日前位だったと思いますが「当日は家内同伴で行くことにしたよ」と連絡が入りきっとあの会合が奥様共々の最後の想い出の演席になられたのではないでしょうか。

当日は奥様御同伴でご出席なされ愉快にたのしく終始あの眼鏡の中から笑顔をほころばされ当時の部隊長原田閣下御祝詞代読に当ってはあの澄み切った若々しい力強い音声で濤々と読みあげられました。

今でも耳朶の中にその儘残っております。

会の終了時には「よくやって呉れた。

御苦労だった」とねぎらいの言葉をお掛け下さったあのお顔が今だに忘られません。

その2週間後に訃報に接するとは‥‥。

中心人物を失っても最後の一兵までを相言葉にご遺旨を受け継ぐつもりです。

戦友会で最先端を歩まれる反面こよなくご商売の材木を愛され馬を愛され音楽を楽しまれるすばらしい男性でした。

そんな話しになるとあの温厚な顔がほころび熱弁止まる所を知らずの情況展開でした。

その原点は砲兵魂と鍛えぬかれた保定教育ではなかったでしょうか。

ある時軍装品を扱っている奈良の骨董屋へ中川様と一緒に訪ねたことがありました。

砲兵出身の中川様のこと故きっと懐しい砲隊鏡でも入手されるのではと思っていた所注目されたのが古ぼけたほこりだらけの長さ2mはあろうかと思われる全木製プロペラでした。

確か十五万円程したでしょうか。

決断力も早く「之をいただくよ。

あとで車で取りに来させるから」と手付けを渡されたのには驚きました。

聞けば古今東西の誰も見向きもしない様な木製品をすべて集め後世に残したい由。

さぞやあの古ぼけたプロペラも中川様の許へ越し入れ出来て喜んでいる事でしょう。

此の追悼集を読まれる方でもし木製プロペラをご覧になられる方があれば中川様の木材魂が宿った品です。

今頃はもうすでに皆様の眼に止まっているのではないでしょうか。

偉大な方でした。

偉大な人物でした。

偉大な先輩を失くしてしまいました。

今頃はきっと天国の楽園から「君達俺の分まで頑張って呉れよ‥‥」とあのにこやかなお顔で語りかけておられる事でしょう。

只願くば安らかに眠りたまわんことを‥‥‥。

書き度い事は山程ございます。

筆舌には尽くし切れませんが最後に奥様はじめご遺族皆々様のご健康とご令息が受け継がれた伝統ある中川木材店様の益々の御隆盛更にはご生前心血を溢がれた木材団地組合様の御発展を心から祈念し乍ら●筆させて戴きます。

合掌(弓場・河内谷拝謹筆)