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故中川藤一君との満五十年に亙る交友を回顧して

松前木材店 前重慶範
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中川君と私の出会いは昭和十二年四月三重高等農林学校林学科に入学、三翠寮北寮第五室(定員二名)の寮生となった時に始まる。

彼が満十七才私が満十九才であった。

彼は早生れで中学卒のストレートで入学、私は農学校卒でその上浪人組、彼は一人息子、私は九人兄弟姉妹の四男、彼は資産家の令息、私は貧乏百姓の伜、総ての点では対照的であった。

クラブは二人共剣道部、宿舎は前記の如く一年目は三翠寮、二年目は学校近くの細野幸左ヱ門さんの離れ、座敷八畳六畳二間を月五円で借り、三年目から彼は大学進学の為下宿をとり、結局満二年間寝食を共にした次第である。

彼は関西大学商学部へ進学、私は中国大陸へ就職、翌年現役入営→終戦、彼は大学短縮で入営→終戦。

終戦後始めての出会いは昭和二十二年の三月頃だったと記憶しているが、小生が新潟県の三条市へ大工の指金を仕入れに行った帰途新婚早々の中川君の宅に一泊させて貰った時である。

それから間もなく私も木材業界に入り数年の歳月が経ち、昭和二十六年正月早々中川君の招きで一家を挙げて上阪し中川君が代表取締役専務をしていた和洋林産株式会社に入社、和洋林産は翌二十七年八月に倒産し翌二十八年二月株中川木材店が設立され、昭和三十一年九月三十日迄六年間御厄介に相成り、此の間は経営者対従業員と云う主従の関係にあった次第である。

昭和三十一年十月一日付を以て小生が松前木材店として独立開業した時は、挨拶状に態々中川同様前重をよろしく頼みますと関係先へ訴えていただいた。

再来三十有余年同業の先輩として蔭に陽に御指導御愛顧をいただいた次第であるが、ふり返って見るに学友として交友が始まり、一時主従の関係にあり又同業の友として生きて来た五十年間、一度も喧嘩をした事もなく、又小生としても学友だからと甘えて怠けた行動をとった思い出もない夫々の立場に於いて坦々として真面目につきあってきた様に思う近年、彼の業界に於ける活躍業績は実にめざましいものであった。

希くば今暫く長生きして存分の奮闘をして貰いたかった。

又昭和六十五年四月になったら三重卒業五十周年記念クラス会を近畿に住む同級生でお世話して思い出多き伊勢の津で老い、先短くなった人生を楽しく語り合うと約束していたのに、それを待たずして一番若い君が一番先に旅立った。

思えば最近の彼は非常に涙もろくなっていた。

対話の中でも歌を聞いても感動すればポロポロと涙を流して泣いていた。

ああもう少し元気でいて呉れて人生最後の楽しい交友がしたかった。