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中川さんを偲ぶ

港木材株式会社  松山英夫
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この度有志の皆様に依り故中川様の追悼集発行を企画の由私にもその機会を与えられましたので一文を呈します。

亡くなられて早や六ヶ月あのにこやかなお顔を思い浮かべながら生前を偲ぶ事は誠に淋しい事です。

故人は木材業者として行政官庁や民間団体の間で存分に手腕を発揮されました。

而し人生には今回の如く突然の不幸が襲ってくる事があります。

そこに人の世の儚さをしみじみ感じます。

あの多忙が精神的肉体的にご自身を酷使されて居ったのであろうと思いますと胸が痛みます。

故人との出会はもう三十年になるかと思います。

日綿建友会を作られ外材を主として扱われました。

会長が先輩の故広瀬久治郎氏でした。

故人は実に博識の方で種々と会員を啓蒙して下さいました。

総会での旅先きの名所や名物を小冊子に纏められ案内して頂き何時の会合も和気あいあいでした。

定かでありませんが或る時静岡方面の種苗園へ案内して頂いた事があります。

私は当時珍らしかった「メタセコイヤ」と「イトヒハ」を買い庭の一隅に植えました。

この木がこれ程までに巨木になるとは想像もしませんでした。

現在では高さ約二十米にもなって居ります。

亭々として聳える木の枝には渡り鳥のいこいの場になって居ります。

今日も山鳩が止まって居ります。

それらを眺めますとき昇天された故人を思い出します。

また昭和三十八年の木材祭も印象に残ります。

当時業界は年一回大イベントを催しました。

当日は宗右衛問町「メトロ」を借り切り会員を案内致しました。

故石原元吉氏が実行委員長となられ大青協と親尚会が実行団体でした。

私も親尚会の立場でお手伝いを致しました。

その時のプログラムに中川木材店ご一同様の「サラシ」の演技が有りました「メトロ」のあの広い場所で舞台狭しと踊られました。

若き日の故中川社長の勇姿が今もって瞼に浮かびます。

実に多才多能の人でした。

又私の晩年社大阪府木材連合会の一時期互いに運営を司り種々と話し合いました事も懐かしい思い出になって居ります。

これ等を思います時今更ながら人の世のはかなさにしみじみと淋しさを感じます。

人生には終りの日の有る事はどうしても避けられません。

貴方が志なかばで倒れられた事を思う時誠に痛恨の年に堪えません。

而しそれぞれの立場で後継者が頑張って居られます。

どうぞ安らかにお眠り下さい。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

合掌