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中川さんを偲ぶ

東京営林局・企画調整室室長  水越伸朔
9.提供会社 | 樹には望みありTOPに戻る
私と中川さんの初めての出合いはもう二〇年も前になる。

昭和四五年当時、私が大阪営林局にいた頃、局の講演会に講師としてこられ、一聴衆としてお話を聞いたのが最初であった。

その後、四九年に私は林野庁林産課に転勤し、合板関係の仕事を担当したが、そこで再び中川さんとお会いした。

当時、中川さんは合板の先物取引きの取引所を大阪に開設しようと精力的に活動されていた。

色々な経緯があってその構想は結局立ち消えになったが、大阪商人としての中川さんの進取の気風を垣間見た思いであった。

五二年から私は再び国有林の勤務となり、中川さんとのお付き合いは暫く途切れたが、六一年に再度林野庁林産課に勤務することとなり、またお付き合い頂くこととなった。

中川さんは相変らず、商売に、業界活動にとエネルギッシュに活躍されていた。

木材需要が減退し、木材不況は長期に亘り、木材需要の拡大が焦眉の急の課題となっている中で中川さんはこれに果敢に取組んでいた。

大阪木材工場団地協同組合理事長として、国の補助金を導入し、いち早く木材PRの拠点としての「ウッドリーム大阪」を完成させ、その後各地に続々と設置されるようになった同種施設の先導的役割を担われた。

「ウッドリーム大阪」にお邪魔し中川さんの生き生きとした説明振りに感銘したことが昨日のように思い起される。

中川さんとの一番の思い出は、全国ログハウス振興協会の設立である。

近年、ログハウスの普及は目覚ましいものがあるが、六一年三月に建設省がログハウス(丸太組講法)の技術基準を告示し、この講法がオープン化された時に、これに即応して、ログハウス振興のための業界団体を作ろうということになった。

設立までには、紆余曲折があったが、中川さんと有志の方々の御尽力により、同協会が設立され、中川さんが会長になられた。

これからこの協会が大きく発展しようとする矢先に中川会長が急逝されたことは本当に残念でならない。

昨年八月二三日に、私の東京営林局への転勤に際し、ログハウス振興協会の方々が心暖まる送別会を開いてくれた。

その二日後に中川さんは倒れられ、九月五日不帰の人となられた。

あの送別会の二次会で御自身の半生を顧みた自作の詞をマイウェイのメロディにのせて歌われた中川さんの横顔がまぶたに浮び何か因縁めいたもの感じる。

ご冥福を心からお祈りする次第である。