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故中川藤一君を偲びて

株式会社マンテン 取締役社長  中西孝
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昭和六十三年九月五日、中川藤一君の突然の訃報に接し、全く茫然、何とも申し上げる辞もなく、思わず涙がこみあげてきました。

彼と私とは同じ和歌山県の出身で、年齢は私より一つ下。

戦中私が陸士出身の現役軍人として大阪信太山の野砲兵第四連隊の第一中隊長をしていた昭和十七年十月、彼が初年兵として私の中隊に入ってきました。

人事担当者より「中川は関大の馬術部の主将、馬の事はこちらで教えるのでなく彼から教わらねば」との報告を受け、全くびっくり。

若くて凛々しい初年兵の中川君と初めて面接したその時の強い印象を今も覚えています。

これが彼との最初の出会いです。

その後成績優秀な彼は幹部候補生に選ばれて、保定の幹部候補生隊にと進み、私もしばらくして部隊とともに南方「スマトラ」へと出動し、従ってその後彼とは交流もなく昭和二十一年七月無事命長らえて内地に復員帰還しました。

焦土の大阪で当社現会長・横田との戦中のご縁で株マンテンに厄介となり、商人としての第一歩を踏み出しました。

従って戦後もしばらくは彼との出会いがありませんでしたが、十数年前、偶々大阪南ロータリークラブの会合で、全く突然の再会となり、以来「ロータリークラブ」「砲四戦友会」「タナベ経営」の経営者大会等で度々お遭いし、お互いに経営者として情報交換や励ましを重ねながら今日に至りました。

彼の主業は木材関係、私の会社は建材金物関係で、仕事その物では直接関わりがありませんでしたが、彼との再会以後格別の御昵懇を賜り、彼の円満な御人格と、情誼に厚い御性格は、今も忘れることができません。

「木材流通とは」という彼の木材への深い造詣の名誉もいただき、今も記念として私の書棚に飾っています。

今後立派な御子息が中心となって、彼の築かれた立派な事業が、更なる発展に向かって進まれることを祈念し、御令室様をはじめ御一家御一同様の益々のご健勝をお祈りして、拙文ながら筆をおかせていただきます。

合掌