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中川さんの魅力と遺徳をしのぶ

成瀬商工株式会社  代表取締役  成瀬友一郎
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昭和三十一年の春、島崎三四郎氏(故人)が、当時幸町にあった私の会社にやって来られ、市売関係で一人話のわかるヤツを探しておる、友チャン、十日会という会やけど入らへんか、と誘ってくれた。

会場へ行ってみると、顔みしりが五〜六人と、材木屋の社長らしいのが五〜六人いる。

木材の商売は巾が広いので、専門、専門でいろんな話をしている。

今でいう情報交換をすると共に、適当に飲む会でもある。

その時までの私は市売以外何も知らなかったが、おかげで木材にもたくさんの業種のあることがわかる。

面白そうなので、さっそく入れてもらうことにする。

その中で、ひとり非常によく通る声で活発に発言される人物の魅力に私はすぐさまひきつけられた。

それが、中川さんと私の出会いであった。

その後、大阪J・Cに入会し、J・C木材部会を通じ全国の青年経営者と親しくお付き合いさせていただくうちに、全国で林青連をつくろうという気運が出て来た。

そんなとき、中川さんから、ひとつ大阪木材業界の青年経営者に広く呼びかけ、明日を切り拓く会を発足させようではないかとの強い意志表明があり、十日会メンバー一同大賛成ということになった。

今日の大青協の誕生である。

それ以来急逝されるまでの間、中川さんは、浅野さんたちと共に、陰に陽に木材界のためにほんとうに全力を尽された。

大阪の誇る大阪木材工場団地と大阪木材コンビナートは、関係各位の御援助があったとはいえ、中川さんが強いリーダーシップを発揮されたればこそ、あれだけの大事業が比較的短時日のうちに完成されたものと思う。

大阪木材業界にとって、この二つの大団地の持つ意義はきわめて大きい。

当時の地価は、美原が坪当り七、〇〇〇円、岸和田は二〇、〇〇〇円前後で入手できたのであるから、今日この地へ進出されている皆様方の大きな資産形成の礎ともなっている。

このことは、中川さんが亡くなられたのちでも、是非深く皆様方の御記憶にとどめておいてほしいものである。

また、中川さんほど私利私欲のなかった人を私は知らない。

かねてより尊敬の念をはらっていたことを皆様に報告しておきたい。

中川さん、安らかにお眠り下さい。

明日はきっと、あなたが育まれた青年達が担っていってくれることでしょう。