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厳しくて温かい人

山王木材株式会社 原木部部長 岡田日出男
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昭和六十一年に発行された、偲び草「潤一君の思い出」の中で、中川先輩は次の様に書いておられます。

「ボツボツハッピーリタイヤを考えねばならないね」あの時からわずか数年、こんなに早く他界されるとは思ってもいませんでした。

この数年の間に会社を御長男にタッチされ、次なる仕事へとファイトを燃やされていたことと思います。

会社の事、組合の事、業界の事、まだまだやりたい事が山ほどあった事でしょう。

本当に残念でなりません。

葬儀の時、多くの方々も、私と同じ気持で最後のお別れの献花をされていたと思います。

私と中川先輩との出会いは昭和五十年、私が大青協へ入会し、その時の四月総会での事でした。

当時新入りの私から見れば、大青協の生みの親で、二年間の会長歴任中の活躍等皆から聞いておりましたので先輩と云うより雲の上の人で恐れ多い存在ですらありました。

その後業界の会合で数回同席させて頂き又大青協行事にお顔を出される度に声を掛けて頂いている内に、仕事に対しては非常に厳しい反面、温かい心を秘めておられ、我々メンバーの話を「ウンウン」と良く聞いて下さるのを拝見し、良き親分、兄貴分として親しみを感じたものでした。

昨年日本木材青壮年団体連合会の全国会員大会が大阪で開催され、無事に終了する事が出来ました。

大青協会員各位はもとより、OB会のバックアップも抜群でした。

大会運営については少なからず資金が必要で、その資金調達が大きな鍵でした。

そんな折、歴代会長を代表して中川先輩より資金援助の話が舞い込み、会員一同大いに感謝し、その後大会の成功に向けて邁進する事が出来ました。

これも歴代会長始めOBの方々が、今回の大会が現会員だけでなく自分達のものとして御協力していただいたものと思います。

昭和四十一年、当時の林青連第十二回全国大会を盛大に挙行され、演出、企画、規模とも林青連大会史上最も印象的と称賛されました。

その時の記録フィルムが残されており、若い頃の先輩諸氏が生き生きと活動されておりますし、中川先輩も大活躍されております。

それだけに今回の大会も以前の経験からいろいろアドバイスを受け協力していただきました。

無事大会を終え会員一同ホスト会団の大任を果し、お客様の帰られた会場で「乾杯の歌」を合唱した時、中川先輩は感激の余り涙を流しておられました。

大青協を思う心の深さに頭の下がる思いがし、共に顔をクチャクチャにして大騒ぎした事が昨日のことの様に懐かしく想い出されます。