v2.1

想い出・あれこれ

株式会社そげ重商店 代表取締役  大岡次郎
9.提供会社 | 樹には望みありTOPに戻る
大青協が発足した時、私も参加したから、中川さんのことはよく存じ上げていたけれど、親しくお話するようになったのは、大阪の紳士社交クラブ、清交社に於いてである。

火曜日毎にある午餐会に時たま出席すると、中川さんが手招きでここへ来いということで、お隣りの席に座らせて頂いたものだ。

ある時その清交社で一緒になったとき、「中川さん、あなたは関西大学のご出身だが、今度私の長女が結婚するのに、娘婿となって入籍する伸彦は同じ関西大学の出身だから、あなたは大先輩として結婚式に出席して頂けませんか」とお頼みすると、あっ出るよと心よくお返事を頂戴した。

結婚式の席上、宴たけなわの頃、余興に今は亡き若木寛さんによる私と若い二人をもじった、ご存知白浪五人男の名調子が出たが、何しろ前日に原稿を渡したばかりの即席のこととて、若木さんも良く覚えていない。

科白につまると、うしろについていて下さった中川さんが、プロンプターよろしく、小声で科白を教える。

それが良く聞えるものだから、満場爆笑、たいへんな盛り上がりを見た。

中川さんは仲人の足もとで拍子木までたたいて下さって、一介の後輩のためにされるには何と心の広い立派な人かと益々尊敬の念を深めたものだ。

しかしそれから五年しか経っていないのに、当時ご出席の中川さん、若木さん、私の兄太郎も含めて十日会のメンバー三人が相ついでなくなったのは何という因縁かと空恐ろしい気さえする。

中川さんが亡くなった時、真先に浮んだ痛恨事がある。

一昨年の関西納材協同組合の十二日の理事会のあと、中川さんに呼ばれた。

中川さんの言うのは、美原の木材工業団地の木工品の展示室に木製のプロペラがある。

海軍のものということは分かるのだが、何時、どんな機種についていたものか分からない。

戦争末期、鋼鉄が不足したため、代用品として木で作ったものと思うが、正確なことを知りたい。

君は海上自衛隊に友人も多いことだから調べてくれないか、という依頼であった。

私は科学技術の粋を尽くして生産された太平洋戦争時の飛行機に、いくら末期とはいえ、日本海軍が木製のプロペラを装備せざるを得ないような絶望的なものをつくる筈はないと思ったから、即座にそれは航空の揺籃期の飛行機に使用されたものと思いますが、早速海上自衛隊の専門家に調査させましょう、とお答えした。

近畿太平洋岸を統轄する海上自衛隊阪神基地隊に連絡したところ、総務科長から折返し返事がとどいた。

文書の一節‥‥ご依頼ありました元海軍航空機のプロペラの件につきまして別添の通り判明いたしましたのでお知らせします。

一四式ロレーン(ローレンは誤りとおもいます)を使用した航空機は一機種だけですが、カゼインプロペラは六機種に使用されており、機種の特定は出来ず‥‥‥として木製のプロペラを装備した七種類の海軍機の一覧表が送られて来た。

更に電話で阪神基地隊司令の意向で年初の訓練の終了次第、パイロット長、A二佐を派遣させる旨の連絡があった。

私はその手紙と一覧表を中川さんに送り、私は多分此の表の中の大正十四年に横浜工厰で製造された一四式三号水上偵察機のものと思うが、いずれA二佐同伴の上美原にお伺いします、とお返事をした。

中川さんも大変喜ばれ、心待ちされていたのだけれど、その後A二佐は移動、総務科長は退職し、そのうち、そのうちと思う間に、いつの間にやら八月になってしまった。

中川さんがこんなことになるのなら、首に縄をかけてでも海上自衛隊の専門家をつれて行くのだったのにと、ただただそれが痛恨事として私を苦しめている。

私ごとで恐縮だが、昨年の八月二十七日、私どもの創業三百周年の記念祝賀会を催すにあたって中川さんにも是非お越し頂きたいものとご案内したところ、快諾のおたよりを下さった。

ところが当日お顔が見えず、体の調子が悪いので欠席というメッセージを受けた。

舞台が清交社であったので、中川さんには乾杯の音頭でもとって頂くつもりであったのに、その短かいメッセージがまさかあの元気な中川さんのあまりにも悲劇的な病を伝えるものであろうとは私には想像も出来ないことであった。

西教会での本葬の際、司式の牧師さんが、中川さんは何事にも全力投球をする人であった、と述べられた。

他の友人の弔辞にも同じ全力投球という言葉があった。

私はそれを悲しく聞いていた。

中川さんは戦後の木材界に巨大な足跡を刻された。

大青協しかり、美原の工業団地しかり、壮大華麗な夢を次々と実現されてゆかれたが、その壮大華麗な夢の前に立ちはだかる山積する問題を渾身の力をふるって三振に切り捨てようと全力投球された人生だったということだろう。

私は中川さんの実業を全く知らない。

だから葬儀の際の全力投球ということの意味もよく分からないが、私の想像するようなものであるのなら、もう少し人生の道を急がず、悠長な旅をしてほしかったと思う。

全力投球は実に美しい男らしい姿だけれど、人生には時として敬遠の四球を投げたり、肩をかばって自ら降板するようなことも必要ではなかったろうかと私は思う。

もっと生きていてほしかった。

酒をのんだり、歌を歌ったり、世界旅行に連れていってもらったり、あなたとそんなお付き合いをして頂くことを楽しみにしていたのに、もうあなたはこの世にない。

しかし三人の立派な、羨しい程立派なご令息達があなたの託された壮大華麗な夢を嗣いで、奥様を安泰に、中川家をいやさらに隆盛にするために力を尽くされることでしょう。

中川さん、今はもうゆっくりと天国で見ていて下さい。