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木材流通とは

第9章 国産材時代を切り拓くために

相手に儲けてもらうことが自分も儲かることだ

国産材時代を切り拓くためにポイントとなるであろうことを何点か述べましたが、以上を通して言えることは、各々自分のポジションに立って、自分たちはどのように合理化を進めなくてはならないかを真剣に考えることが、なによりも大切である、ということです。

 昭和五八年一二月「間伐材を考える」NHKのテレビ座談会で、同席した下仁田森林組合長さんから下仁田森林組合の活動ぶりを直接お聞きすることができ、なるほど世に名高い下仁田方式というのはこういうことだったのか、大変すばらしいことをよくやっておられるなあと、感銘しました。

 例えば、間伐を実行するのに、対象流域のすべての山の間伐を全部森林組合でやらしてもらっているわけです。こういう話をすると、誰もが「それは当然ですな。そんなもの、ぽつんぽつんとやるのでは、能率が上がりませんからなあ」と言われます。戦後、ほとんど同じ時期に植えた山ですから、その川の流域は全部森林組合で間伐をすることにして、順番に伐出してゆけば能率が上がることは誰れの目にも明らかですから、そう言われるのはもっともです。にもかかわらず、この下仁田方式が、全国的に見ると例外的であるというのは、皆さんそうした方が能率的であることが分かっていながら、いざ実行となると、「わしは別箇によそへやらせます」とか、大きな山林所有者は「わしは自分で作業員を雇ってやります」とか言って、それぞれ勝手に振る舞う地域が多いからなのです。いろいろな地主がいる中で、みんなの山を一緒にして間伐をした方が誰れにとっても得することなのだということを説得し得て、みんなの協力を得ることができるようになるまでには、下仁田森林組合の大変な努力があっただろうと推察します。一般に森林関係の人は、自分が損することは相手が儲かることであり、自分が儲かることは相手が損することである、相手に負けて損をさせられないようにしなければならないと、一生懸命に考えている人が多いように思われます。そういう考えでは、国産材時代に対応できません。相手に儲けてもらうことは、自己も儲かることだと考えること。相手が喜び、相手が利益を上げるために自分はいかにしあげたらよいかを真剣に考えること。そうした気風を下仁田森林組合では作り上げ得たからこそ、紹介したような間伐のやり方を実行し得たのだと思われます。機械化への努力についてもいろいろうかがいましたが、同じ沢を全部やらしてもらうという基本的な条件を作れたから、機械化も進み、出材費を三分の一にまで引き下げられたということであって、どういうことについてどういうふうに皆が協力できるかを考えることが下仁田方式の起点であったと私は思います。

 自分だけのことを考えていたのでは駄目だ、みんなでやることはみんなが力を合わせ、みんなに利益がでてそれが自分にも得になるということが、国産材時代になってくる時に大事なことではないでしょうか。相手が喜ぶ方策を考えてあげれば、木材についても高く買ってもらえるから自分も利益を上げることができるのです。

 故ケネディ大統領が「あんた方、政府にして貰うことを言うのではなくて、どういうことを政府に対し自分らはできるかを考えてくれ」ということを話した時、「ああ、ケネディは、哲学的ないいことを言うなあ」と、世界中の人が手を叩いて感心した。そういう思想がいろいろなところにあるわけです。総論は賛成、けれども自分がかかわる各論には反対というところから、一つ一つ崩してゆかなければいけない。これから国産材時代へかけて業界が成熟してゆくまでの間こそ、協調連帯が必要とされる時でありましょう。

 下仁田森林組合の活動の中で、さらに感心したのは、一人一人が年間契約をして就労しているということです。「私は年間一三〇日働きます」「私は一〇〇日働きます」ということを聞いて、十二月に個々に契約をしている(下仁田地区はコンニャクの栽培が盛んで、人によって栽培面積が違うので山林就労日も違う)。それからレシーバーを皆に持たせている。なぜレシーバーを作業班の一人一人に持たせているのかと言うと、「山の中で働いている主人に、嫁さんが連絡できないような状態にしておいてはいけない」からであって、働いている人たちの就労状態を掌握しようということでレシーバーを持たせているわけではないということです。思いやりが発想の原点にある。そこまで思いやりがあるということは、レシーバーの問題は氷山の一角であるということであって、健康保険の問題だとか、社会保障についてのいろいろな面で働く人たちへの思いやりが出てくるということです。こうした思いやりが木材業界の皆のものとなったら、まことに万々歳ということになりましょう。