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「木霊 」となり我等を指導し給え 

日榮コミュニティー株式会社  代表取締役 田中幸雄
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「まさか!中川さんが!」誰しもが或る日突然の訃報を受けた時発する言葉ではなかろうか、そして誰もが「欲しい人を亡くしたものだ、そんな歳じゃないよ」と衝撃と悲しみとが交錯した事と思う。

・・・・私と中川さんとの出会いだが、それは昭和四十七年日本木材同友会設立の折であった、私は関東の人中川さんは関西の人だけに、名前こそ風聞して居たが遠い人であった、中川さんの方は私のことを良くご存知でして、何故かと申しますと、中川さんのご子息が大阪大学に在学中、私の家内の本家が麻布で吹田屋なる木材業を営んで居り、甥が同級生で、同じ木材業で気(木)が合うせいか、時折中川さん宅に泊めて頂いたりしていたとの事、その折始めて聞かされ、人間の縁とは誠に奇妙なものと悟った。

 中川さんは日本木材同友会のなかでも中心的人物であり、その情報力と活動力は注目の的でもあった。

今はまさに情報化時代と云われて居るが、その情報も見るだけ聞くだけの人が大部分と思う、早い話が情報が金に、そして物に変化して居なければ、情報は腐ってしまう。

中川さんは常に素早い行動と自らの実戦力で理論でなく、情報が一つの事業へと変えて行く綜合的な手腕に多く学ぶ可きものがあった。

或る時同友会の席上中川さんより、林野庁より大量に出てくる間伐材につきその対応に間伐対策室が設置されたので、民間ベースでその協力団体を設置して欲しいとの依頼があり、君の所でも全国に十四の市場を有して居り一緒に発起人として協力して頂き度いとの要請があった。

当社では三〇年来切丸太と称し全国に一つしかない小径木の市場もあり、又今一人の発起人も「マルボー」の池知さんも長陵林材で当社の永い取引先でもあり、御互い即気が合い「全国間伐材小径木需要開発協議会」と大変永い名の会が全国の有志と共に設立に至った。

勿論会長には中川さんに就任して頂き、在京と云うことで私が副会長と事務局を引受た。

当時林野庁としても間伐五ヶ年計画を実施して居り、間伐を実施しないと山林が育たない為、相当なる国家予算をとり実行にとりかかって居た折だけに、莫大なる間伐材の出材があったが、その大部分は、何の利用もなく山元に寝る現況であった。

翌五十七年、全間協主催、林野庁後援の基に、日頃の研究発表の為、第一回間伐材シンポジュームが麻布のグリン会館で開催された。

一五〇席の限定席が一杯で補助席を追加した程の盛況で当時話題を呼んだ。

間伐材よ寝ることなく世に出よとの中川さんの願いであったと思う。

木を愛した中川さん「木霊」となりて我等を導きあれ。