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株式会社東和組代表取締役

和田真一
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謹んで中川藤一さんのご逝去をお悼み申し上げます。

昨年九月二十一日に明日合同葬が行われるとお知らせを受けまして自分の耳を疑った程に驚いたことを覚えております。

回顧いたしますれば、当社の協力会社で結成しております株東和組東親会の会長福田重美さんが戦時中より御世話になっておりましたが、昭和四十四年春頃より寄る年波には勝てぬと辞意をもらしておられましたが、その役員の中で船津稔さんという方が、中川木材の中川社長さんを存じあげているが三重大学の講師もなさっておられ非常に学識者でもあるのでとご推薦があり、当社も戦後戦災復興工事で学校建設等の基礎杭をその当時コンクリート杭の無い時代で松杭の設計になっていてそれを中川木材さんより一手で仕入れていてお取引も深かったし、勿論東親会の会員にもなっていただいていたので、お店の番頭さんに事情をお話しして、社長さんに取次いでもらったところ、東親会の会長就任を快諾して下さったのが私との出会いとなりました。

そして四十四年九月十二日に別府に於て総会の席上東親会会長に就任していただきました。

爾来十年余長い間にわたって会社、公職共に大変お忙しい毎日でありましたでしょうに、東親会の行事には必ず出席いただいて、会の発展、和合に尽されたご功績はとりも直さず我社の発展につながっていたと常々感謝の気持で一杯でございます。

思えば四七年一月に東親会の有志による第一回ゴルフコンペに、ゴルフをされてない中川さんが真新しいクラブで柔和なお顔で参加して下さったこと、五一年九月に自ら企画されて城崎西村グランドホテルで総会懇親、翌日の帰りに出石で城跡見物、中川さんと二人で村外れの織物屋へ急いで行って絹の織物を二反買ったこと、帰ってきて出石役場の方が小学校の校庭で村の運動会に団体で参加して下さいと懇請され中川さんは心よく承諾され、早速十五名選抜されて種々の競技にカケ声と喚声で時間のある限り復を抱えて参加したこと。

又中川さんは美術に秀でたご趣味があり、表彰に寄贈にとご自分で選んでこられた版画を副えて頂いたり、私自身も何かの代金の替りに手に入った鐡斎の掛軸を鑑定をしていただきに中川さん御夫妻の許へお伺いした思い出もあります。

そして中川さんが社会に貢献された功績により国家表彰をお受けになりそのお祝に次期東親会会長中原さんと共に五八年十一月三日会社の執務室にお伺いしたのが最後のお別れとなりました。

今ここに永のお別れに当り私としては永年にわたるご好意に深く感謝するとともに、ここにひたすら安らかなご冥福をお祈りいたします。