「荒城の月」の第一句「春高楼の」でお馴染みである。「高」を付けなくても一字で「たかどの」と訓む。「摩天楼、楼閣」と立派な高層建築を指す熟語に使われているのだが、元々は屋根の上に造った物見台のことである。この字の原義に近いのはむしろ「檣楼(マストの見張り台)」のほうであり、物見台をつけることができるほど立派な建物を指して「楼閣」と言った。
 屋上に造る物見台はなんのためであったか。城閣などにつけられて敵を遠望して応戦に抜かりなくするためである。このため楼は、古くは楯(たて)と同義に使われていたがその後見張り台の意味に当てられるようになった櫓とともに「やぐら」と訓読みされる。やぐらは、矢倉(=武器庫) であり、日本にこれらの字が伝わった時にはすでに単なる見張り台の意味を超えた軍事施設の意味になっていたことを示している。  木造の高層建築は、課題が多くて実用的でない。五重の塔を挙げる人がいるが、あれは塔であって、中の空間を人が利用するためのものではない。天守閣も櫓から 発展した軍事施設であり、平時の執務や居住は平屋の「お館」(おやかた≒親方?)であった。
 米国が三階建て以上の木造共同住宅を日本に売り込もうと貿易協議のテーマに 取り上げて大騒ぎをしたが、一向に普及しない。このことの彼我の差は、住む人の生活態度にある。共同住宅に住むときには上下左右に気遣いをするのが当たり前として 躾けられている欧米に対して、日本では共同住宅居住者ほど夜遅く帰宅する人が多く、帰宅後に電気洗濯機を回し、電気掃除機をかけ、大音響のステレオでくつろぎ、 水洗トイレを流す。彼の国の建築業者も日本人が共同住宅に求める遮音性に応えるノウハウを持ち合わせていないし、木造建築の遮音技術に展望を持っている人にお会いしたことはない。
 昨今は、一世帯で住む住宅についてまで二階の音が下に響かないようにとの注文がある。家族のだれかが二階でどうなっているかくらいの物音が伝わるのでなければ、泥棒は安心して二階の窓から忍び込むだろうし、個室の子供はますます自分だけの世界に入っていってしまうし、発作の起こった高齢者は放置されることになると私は思うのだが、、、。  楼の本字樓の旁の「婁」には、「虚しい」という意味がある。ヨーロッパでは高層建築の人間性に与える悪影響が指摘され、共同住宅は低層化の傾向である。とこの原稿のパンフレット版で書いて配っていたらいわゆる「9.11」が起き、読んでくれた友人の奥さんから「しみじみと実感しました」と言われた。
 その後も東京は超高層ビルの建設ラッシュが続き、見覚えのあったスカイラインがどんどん変わっている。これは、ケインズ理論による経済発展を目指してのことと思うが、人口の増えない地域での農家のアパート建設競争と同じで、限られたテナントの引き抜き合戦が生じ、十年程前に建設されたインテリジェントビルのオーナーが倒産しかかって銀行の不良債権を次々と生み出している。