枯は、会意形声文字であって、「古木」の概念である。植林をして二酸化炭素削減に貢献したつもりでも、自然に枯れるのは、腐朽して二酸化炭素に戻るのが早く地球環境改善に貢献しないし、病気などによって木の組織が破壊された結果であることが多くて材としての用に耐えない。そこで人為的に伐採して腐朽菌が付着しないように管理して枯らすのである。土地が狭く高い日本では伐木を貯木乾燥する場所も狭く、貯木量も少ない。このため住宅建設ブームになると、十日前には生きていた木が使われることすらある。伐採後間もない木材には「グリーン材」などと一見格好いい名前が付いているが、水分を多く含んでいるから腐朽菌が付き易い。グリーン材を使った住宅は、人が住んでからも木材の乾燥の進行に応じて反ったり曲がったり縮んだりして狂いが生ずる。平成8・9年の消費税引き上げ前の住宅建設ブームの結果生じた住宅クレームのブームもこの要素が大きく、「築」の節で述べた法律の後押しとなった。その法律の運用上も木材の含水率は重要な要素に成っているが、木材業界からはコストを吸収できないとして不評である。「クレーム一件・損失百万」と言っているハウスメーカーは、太平洋東岸の材木会社の貯木場に積み上げられている材木を一山いくらで買っている。外材輸入が始まった頃に比べると、ロッキー山脈の天然林保護政策が強まって日本向けの材の品質が低下しているのだが、伐ってから使うまでの長い時間が乾燥を進めクレーム発生を減らして優位さを保っている。
 神事に用いられる木製の器具の殆どは、塗装などを施さない白木である。ご遷宮を繰り返す伊勢神宮の社殿も殆ど塗装されない。曹洞宗では質素な仏壇を評価する。これらは、偶物を簡略化させ、宗教心を重視させるに当たって負担の少ない自然材の直接使用を勧めたからである。それがなぜか工業化の進展に平行して白木信仰とでも言うべき風潮を生み、処女材を重視して古材や再利用材の利用をさげすむ傾向が強くなってしまった。だが、木材の品質として古材ほど安定したものはないし、資源保護や二酸化炭素削減の観点からも重要である。
 資材の枯渇は、木材よりも地下資源のほうが深刻である。住宅の配管に使われている塩化ビニールの原料の石油は50年、電線で不可欠な銅は40年弱、トタン板に不可欠な亜鉛も同じくらいで枯渇するという。日本の住宅着工150万戸というのは一世代ごとに住宅を潰しては建てるというピッチである。こんな贅沢を続けることが許されるものでないと役人時代の平成元年に論文を書いたら、「君は住宅政策が判っていない。また、末端建設業や住宅産業はどうするのだ」と同僚・先輩の不評を買った。
 人口の減少が誰にも見えるようになった今は、後継ぎは自分の子供しかいないような大工や工務店のオヤジさんが量より質を重視するようになったの対し、ハウスメーカーのサラリーマン社長は少なくとも自分の在任中は 量的な右肩上がりを確保しようと住宅建設ブームの再来を政治家などに働きかけている。
 というような生々しいことを常日頃口にしているものだから、「もう還暦も過ぎたんだから、もっと枯れた人生を目指せば良いのに」との陰口が聞こえないわけではない。 私の生家で帯戸の上の長押に使われている梁背尺五寸の松材からは、建築後130年を過ぎた今もヤニが出ている。涙粒の形に垂れて乾いたのを取り去ると、半年もしないうちに前よりも赤い涙粒が復元される。私が枯れにくい一因かもしれない。
 自然素材である木材の客観的な品質や性能を究めることは、人材を見極めることと同様に奥行きが深い。この拙文で見てきたように木材は、工業生産材とは異なって文化的な要素まで具備してしまっていることから、解決すべき課題は、枯れるどころか尽きることなく溢れ出ている。