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二極化するか日本の住まい

日本の家づくりは本当に2極化するのか 

~木の家づくりは時代の要請~

● 洋風文化、洋風住宅が、西洋文明による支配のための目的を持って、戦後の日本に持ち込ま れたものであることについては、すでに見てきました。そして、それが日本にふさわしいものでは なく、日本の精神文化・生活文化を喪失させようとするものであることについても見てきました。 この上に立って21世紀の家づくりを考えれば、木の家づくりこそ本流にすべきであろうし、そう なるべく必然性を持っていることも理解できるところだろうと思います。しかも、それが大きな流れ になることを感じさせるような動きも各地で始まっています。 ところが現実は、それほど甘くはないのも事実です。 建てられる家は依然として洋風思想を受け入れたものが多いようですし、生活者の中にも洋 風住宅に魅力を感じている面が少なからず見受けられます。 家を建てたいと思う人に求めたいくつかのアンケートでは、木の家を望む声が80%を超えて おり、90%という集計もありながら、現実にはそうならないのはなぜかを考えなければなりません。

●木の家づくりを阻害するもの 木の家づくりが、広がりそうで広がり切らないのは、いくつもの阻害要因があるからで、そのひと つひとつを乗り越えながら本流となるようにして行くことが大きな課題だと言えるでしょう。 そこでまず、その阻害要因が何であるかを考えてみます。 第1にあげられるのは、依然として強いハウスメーカーの力です。圧倒的に強い宣伝力と営業 力があります。新聞・雑誌・テレビなどから流される宣伝は、どのメーカーかを問わずにメーカー 住宅への魅力を持たせ、人々の意識に浸み込んでいます。モデルハウスを見れば、いかにもカ ッコ良くて、住み心地も良さそうで、見た感じで不満を持たせるようなものはないはずです。そこ へ営業マンの訪問を受け、良いところ取りで説得されれば、応諾することになってしまいます。 ある程度の知識を持ったり勉強していない限り、性能を並べたてられ、法規対策を語られ、カ ッコ良さを見せられれば納得せざるを得ないのが普通であろうと思います。
第2にあるのが、木造住宅への不安です。以前にも増して阪神・淡路大震災を利用して木造住 宅批判が強まりました。地震に弱い、燃える、壊われやすいなどという不安が煽りたてられていま すし、高いというイメージを植えつけられています。
木の家が基本に沿ってつくられれば、優に百年は長持ちするし、数百年経った民家の存在や 千年前後の建築物が数多く健在なのに、コンクリートの建物は50年前後が限界だということが知 られていません。木は燃えますが、柱材は表面が炭化することで燃え尽きることがないことや、ガ ラスや鉄の方が熱に弱く、木よりも早く燃えたり、溶け崩れたりすることを知らない人が圧倒的に多 いという現実があります。
第3に、都市部を中心に見れば、一般の人が木の家を希望しても、そんな家をつくれる人を見 つけられないことが多くあります。誰がどこにいるのかわからないから頼みようがないという実際が ありますから、手っ取り早くハウスメーカーにということになる傾向が多くあります。
建築家が木の家をつくっていると考える人は少なく、大工さんも見つからないし、見つけても頼 むには不安があり、工務店にしても良くない評判を聞いていて頼みきれないという話が聞こえて きます。本当に安心して頼め、希望する木の家をつくってくれる人、つくり手が充分に見えない現 実があります。
第4に、大工・工務店の問題があります。職人と呼べる技術を持った大工さんはまだまだいます が、その人たちの腕が埋もれていて見えないこともあります。安易なプレカットや大壁工法しか経 験していない大工も多くて、希望する家を頼めないと言う面もあります。しかも大工の絶対量が減 少しており、工務店に組み込まれている大工も少なくありません。
工務店にしても、しっかりした木の家にこだわっている工務店と、メーカーの下請けや建売りを 主にしている工務店との区別が一般にはわからず、後者の工務店の方が多いという現実がありま す。
第5に建築家の問題があります。木の家をつくる建築・設計士は想像以上に多くはなっています が、それでも建築学科で洋風住宅づくりを学んだ人が大部分で、ほとんど木材や木構造について 学んでいませんから、洋風木造というように、木造を取り入れながらも洋風思想という人が少なくあ りません。
和風の構法と同時に、そこに流れる思想・理念を通して本当の良さを語れる建築・設計士があま りにも少ないようです。
加えて言えば、建築関係の雑誌は依然として高気密・高断熱を建築の主流に据え、メーカーや 行政と連携して洋風住宅づくりを煽動しており、多くの建築関係者がそれを是認しているという現 実があります。
第6に問題とされるのが、木材の供給体制の整備・確立と情報発信です。いざ木の家づくりをし ようとして、ぶつかるのが木材の手当です。現在の木材流通の仕組みは、町場での家づくりへの 供給を主眼にしたものではないため、経路が複雑で、価格が不透明です。その上、求める材料 の多くが特注扱いとされて一段と高くつくという問題があります。 これから木の家をつくろうとする人たちにとっては、この仕組みでは受け入れられないことにな りますから、直接、山へ行ったり、製材所へ行って仕入れるケースが増えています。今後、建築 家がみんなこのような仕入れをすることは、大変な負担を強いることになりますし、不可能な場合 が多くなります。

 山元・製材と結んで、町場の家づくりに対応した供給体制をつくり、価格もある程度明示して門 戸を開放し、広く情報を発信することが焦眉の課題となっています。 第7にあげられるのが、最大の問題でしょうが、人々の意識を支配している洋風思想です。 先の6項目のすべてに共通して底辺に根を張っているのが、洋風住宅を前提にした住宅観があ ることです。高気密・高断熱や利便性などの性能・機能を優先した住宅観を払拭しなければ、木 の家づくりは広がりません。
洋風住宅への批判以上に、木の家、和の家の本当の良さが人びとの意識に定着するように、あ らゆる力と働きかけを強めることこそが必要になっています。 そのためには、木の家づくりに関わるすべての人(林業・木材・建築・設計・大工・工務店・デザ イン・マスコミ)が語り部であり、実践者としての活動を強めることが大切です。
また、完成見学会をはじめとする現場の見学に、周辺の住民を主対象に、より多くの人たちに 参加してもらう働きかけがますます大きな意味を持つようになっています。

●新しい時代への意識の変化 このように、木の家づくりを広げる上での阻害要因がこれほど多く、しかも根深いことを見れば 木の家づくりの輪を大きく広げて本流にまで押し上げることは容易ではない感じさえします。 50年余りもの長きにわたって仕組まれ、思想的にも形態的にも浸透しているものですから、 その意味では当然かもしれません。
しかし、そこで注意して考える必要があるのは、20世紀的な概念や発想からすれば難しいと の結論を出さなければなりませんが、21世紀の視点で見れば必ずしも難しくないということにつ いてです。
それは、一口で言えば、20世紀を支配してきた価値観が大きく綻びはじめ、価値観の大転換 が迫られていることと、20世紀の枠組みが様々な矛盾を生み出し、その矛盾の解決のためには 新しい枠組みをつくるしかないからです。そして、それを求める人々の意識の高まりが急速にす すんでいることにあります。
そこで、急速な変化を促しているものについて考えてみます。 それは第1に、人びとの意識の変化です。まだ明白な答えを持った変化ではありませんが、20 世紀的な在り方への批判を強め、答えを求めた行動へと動いています。 その現われは随所に見ることができます。その象徴的な例が、80年代後半から表面化してきた 健康志向と自然志向です。その背景にあったのが、健康破壊の進行や、現代医療では治癒しき れない奇病・難病をはじめとする病気の増加という現実に対して、自分達で健康を考えようとした 動きです。健康食品や健康機器などが通販の変化を生んだのはその現われです。これと相俟っ て無機資材で囲まれた生活への味気なさや忌避感、大気汚染等に対抗するかのように、森林浴 をはじめとする自然回帰となって現われたのが健康志向と自然志向で、これは表裏一体となっ てすすみました。 この流れは、自然と自然の産物が健康に良いというところへ結びつきますし、本当に良いもの は本物だということで、自然素材、本物素材へと向かうことになりました。そこから顕著になってき たのが本物志向です。
この流れを加速させたのがシックハウス問題です。以前からプレハブ住宅への批判があったの に加え、90年代に入って一段と高気密・高断熱住宅が叫ばれ、住宅産業の主流になってきたこ とで、健康問題が一段と表面化することになりました。
さらにそれを社会問題化させたのが、バブル崩壊後の低価格化によって住宅の材料の低質化 がすすみ、化学製品の使用が急増したことでした。
これと同様にすすんだのがアトピーなどのアレルギー疾患の増大です。
アレルギー症が増えた原因は複合していますが、数十年間汚染し続けた大気と水の影響があ りますし、化学物質や化学薬品づけの反作用の顕在化もあります。
一例をあげると、化学物質の多いシャンプーを使うと、それが頭皮を通して体内に入って蓄積 することになります。それが男性の場合は肝臓に溜まりますが、女性の場合は胎盤に溜まることに なります。その女性が妊娠すると羊水が汚れシャンプーの臭いさえし、そこから生まれた子供は2 人に1人以上の割合でアトピーになっているという研究結果が出されています。 ですから、健康・自然・本物の要求は、科学と化学に依存してきた社会と環境と医療が蓄積して きた諸害悪に対する、抵抗と反撃の行動という性格を持っています。
木材と木の家への希求が80%以上という高さをみせている要素のひとつが、この健康・自然・本 物への要求の高まりにあります。

●広がりはじめた木の家づくり もうひとつは、戦後50数年の洋風一辺倒への疑問と不満足の高まりです。 あらゆる文化が洋風化され、日本的でないものほど近代的と評され続けた風潮に対し、日本 らしさの良さを知っている年輩者の中からの疑問ともどかしい不満の高まりがありました。洋風文 化の申し子であるはずの若い世代の中に、和風文化に新鮮さや味わいを感じ、眠っていたDN Aが目覚めだしたという変化が徐々に生まれています。それが、地方に行くほど残っている精神 的伝統と文化に合流しはじめてきていることがあげられます。
それにも増して、底辺から大きく変わりだしているのが、戦後体制、枠組みへの怒りと批判の高 まりです。瓦解寸前の日本経済や社会の混迷、行政と政治の無能力と腐敗、教育の荒廃やモラ ルの低下、日々の生活水準の低質化というあらゆる面での矛盾に対し、人びとの不安や不満は 怒りへと変化し、行動を伴うようになってきています。
これを悪用したり便乗するようなエセ環境論やエセ改革・改新派もいますし、小泉人気や野球 の大リーグ人気の異常さのように、マスコミ操作で国民の眼を反らさせようとするものもあります。 しかし、ごまかしや目くらましは、束の間の効果しかもたらさないことは言うまでもないことです 人びとの意識は、迷いながらではあっても確実に変化しており、それが住まいづくりにおいて は、日本らしい木の家へと向かってきているのです。これは、必ずや近い日に大きな流れとな ることは間違いないことでしょう。 いま各地で木の家がつくられ、都市で
もつくられるようになっています。その絶対量は、まだ少 ないかもしれませんが、その木の家が周りの人びとに注目されているように、小さく見える変化も それが一定量にまで増加すれば、一気に全体の行動へ移るということが言えるでしょう。 イギリスの天才科学者・シエルドレイクの仮説として学会の論争を呼んで定着した「百匹目のサ ル現象」と言われるものがあります。「形の場」と「形の共鳴」の研究から打ち出されたシンクロニ シティ(共時性)についての科学です。
その研究の対象が、京都大学の霊長類研究グループが宮崎県の幸島で実践した野生の日本 ザルへのサツマイモの餌つけから始まった現象です。初めは、手などで土を落としてイモを食べ ていたサルたちが、一匹の若いメスザルが、イモを水で洗ったのを見て、若いサルたちから順に 次々と水で洗うようになりました。このイモ洗い現象が、幸島のサルの一定量を超えた時に、時空 を超えて一気に日本ザルに伝播したことから名づけられたものです。(参考・喰代栄一「それはな ぜ起るか」サンマーク出版)
木の家づくりへの同じような想いを持った行動が、期せずして全国各地で生まれているのは、 シンクロニシティと言われる共時性の現われと考えられ、百匹目のサル現象へと向かうものと思 われます。
木の家づくりが本流となり得る次の要因は、建築関係者の取り組みの変化です。

建築・設計士、大工・工務店については、まだまだ少なからず問題が残ってはいますが、10 年以上も厳しい条件の下でも真剣に木の家づくりを実践してきた多くの人たちがいます。 この人たちの影響と一般の人たちの木の家への気運の高まりを背景にして、90年代後半に 近づくにつれ、木の家づくりに目を向けて歩み始めた建築家は、急速に増えています。それを 受けて、大工・工務店も本気で木と向かい合う姿勢を強める割合が増えてきています。 まだ、この動きと一般の人々の意識の変化が、ひとつの形を作るまでには至っていませんが、 建築関係者からの情報発信がすすめば、必ず木の家の建築に結びつくことになると思われます

●広がるメーカー住宅への不満 もうひとつ木の家づくりが本流とならざるを得ない必然性があります。それは、戦後のプレハブ 住宅の多くが建て替えるべき時に近づいていることと、マンションの老朽化問題が表面化しつつ あることです。
初期のプレハブ住宅はすでに姿を少なくしていますが、平均寿命25年前後と言われる高度経 済成長期以降のプレハブを主とする家が、建て替えざるを得ないところへ来ています。リフォー ム需要が急増しており、統計で示されないくらいになっているのは、そのひとつの現われです。 リフォームの場合でも、従来のプレハブ以上の良質な材料と造りが求められていますし、リフォ ームや解体の時に、大壁の中の材料の腐敗・損傷・手抜き工事の数々が明るみに出されていま す。
このような人たちからは、同じメーカーには頼まない、プレハブ住宅はもうやめた、ハウスメー カーの住宅は信用できないという声が予想以上に強く出されています。 このような声が徐々に広まってきているのは、メーカー住宅や建売り住宅が持つ矛盾に人び とが気付き始めたことを示しています。
メーカー住宅や建売り住宅の持つ矛盾は、本誌第18号の「住みがい」論との関係その他で部 分的に触れていますが、まとめて整理しておきます。
それはなによりも、間接費の占める割合の大きさによるものです。一般の家づくりにおける間接 費は10~20%が平均値とされていますが、メーカー住宅では3分の1が平均値とされています これは、一般の住宅に比べてその他の経費が20%前後圧縮されることを意味します。 メーカー住宅で使用される木材費の割合が、経費全体の5%程度と言われていることと比較 すれば、いかに間接費の割合が大きいかがわかります。
完成した住宅を20%も安いものに見せるわけにはいきませんから、材料費、人件費、工程の 簡略化にしわ寄せされることになりいます。材料の低質化、隠す部分を多く(大壁や床下、天井 裏など)して粗悪材の使用、低コストの工業製品の多用、工法の簡素化(一部の手抜き工事も) 住宅の規格化・パネル化などがその主なものです。
これを見れば、購入価格に見合った良質な住宅とならないことは余りにも明かです。 それを良いように見せて売るために、デザインや色彩で良く見せ、コマーシャルで煽り立て、 営業マン教育をし、展示場を飾っているのです。
この延長線に並ぶ問題が、こうしてつくられて売られる住宅を、住むための家というよりも商品 にしてしまったことです。
第18号でも書いたように、家はつくるものではなく、住宅という名の商品として買うものにされ たのです。メーカーの出現が建売り住宅、住宅団地の時代をつくり、林業・木材や大工・工務店 から家づくりを取り上げ、農山村の疲弊・没落、サラリーマン化の一翼を担ってきたのです。

商品としての住宅は、経験や技術を伴うものを排除しますから、最大限まで合理化した器づ くりとなっていきます。商品である器は、年月とともに劣化するのが当たり前で、住む人の成長と 反比例することになりますから、思い出も文化も生むことがなくなり、住む人の心を育てることが できないのです。
このような住宅は、いかに洋風思想による性能・機能をつけようとも、心の豊かさを育てるもの とはなりません。情緒を生まない物足りなさや味気なさ、年ごとの劣化がすすむ住宅。 これが 平均寿命約25年と言われる住宅の内実として見ることができるのです。

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