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第1章 木の魅力と日本の住まい

1.日本人と木

 日本人は木の中に生きてきた民族である。それは北から南へ細長くつながる国土が、豊富な緑に恵まれていたためであった。そうした風土の中で、われわれの祖先たちは、この世に「産霊神」がいて、その神が、住む土地にも眺める山川草木にも、霊魂を与えると信じていた。『和名抄』には「木霊」あるいは「木魂」という言葉が出てくるが、それは樹木に精霊が宿っているという意味で、木は神が天から降りてくる「よりしろ」だったのである。
 このような樹木を信仰の対象とする受け取り方は、木,が伐られて材木になったのちも引きつがれる。「お札様」というのはその代表的なもので、あの白木の肌に精霊を感じているのである。 われわれは機械文明を象徴する自動車の中に、木片のお札様が祭られている矛盾を笑うが、それはついこの間まで、敷地の中にご神木を祭っていた屋敷林の伝統の縮図だと見れば、納得できることである。日本人の心の中では、立ち木と材木とは切れ目なしにつながっているのである。
 私たちは長い間、木綿と木の中で暮らしてきた。だが明治以降それを捨てて、新しいものへ、新しいものへと人工材料を追いかけてきた。それは天然材料よりも人工材料のほうが優れていると信じたからであった。だが、いま明治百年の体験を経て、鉄は万能ではないし、コンクリートは永久的な材料ではないことが、ようやく分かってきた。それが木を見直そうという動きを生んだのであるが、それよりももっと大きな理由は、鉄やコンクリートには人の心をひきつける何かが欠けていることに気がついたからであった。
 木綿や木に囲まれていると、私たちは何か心のなごむのを覚える。それはこれらの材料がかつては生き物であって、その生命のぬくもりが人の肌に、ほのかな体温を伝えてくれるからである。 一般に、鉄やプラスチックのような材料は、新しいときがいちばん強く、古くなるにつれて弱くなる。機械も同じで、性能は年代とともにほぼ直線的に下がっていく。ところが木はいささか事情が違っているのである。
 今、千三百年たった法隆寺のヒノキの柱と新しいヒノキの柱とでは、どちらが強いかときかれたら、それは新しいほうさ、と答えるにちがいない。だが、その答えは正しくない。なぜなら、ヒノキは、切られてから二、三百年の間は、強さや剛性がじわじわと増して二、三割も上昇し、その時期を過ぎて後、ゆるやかに下降する。その下がりカーブのところに法隆寺の柱が位置していて、新しい柱とほぼ同じくらいの強さになっているからである。つまり、木は切られた時に第一の生を断つが、建築の用材として使われると再び第二の生が始まって、その後、何百年もの長い歳月を生き続ける力をもっているのである。 バイオリンは、古くなるほど音がさえるというが、それもこの材質の変化で説明できる。用材の剛性が増すとともに、音色がよくなるのである。したがって、音色がよくなるのはある時期までで、その後はしだいに元にもどっていくだろうことも想像に難くない。
 さる有名なバイオリンづくりの名人は、ヒノキは世界に誇る優秀な材だから、それで名器をつくろうと苦心していた。私はそのお手伝いをして、バイオリンの用材を人工的に老化させてみたことがある。まず木曾ヒノキの同じ部分から四枚の板をとり、一つを残し、それぞれ五十年、百年、二百年を目標に老化の処理をした。それを使ってバイオリンをつくり試してみたところ、古いものほど音色がよく、二百年処理のものがいちばん優れていることがわかった(第六章参照)。 ところでその名人によると、ヒノキでつくったバイオリンは、どうしても和風の響きがするというのである。もともとバイオリンは、トウヒとカエデを組み合わせてできたものである。使用する樹種も形も、十六世紀後半に定まり、それ以後、近代科学の改良案もほとんど寄せつけないほどに完成した、手工芸の結晶である。ほかの樹種に置き換えるのが難しいことはよくわかる。だが、ヒノキのバイオリンは和風の響きがするというのはおもしろい。
 木は同じ種類のものでも、産地により立地によって、材質が少しずつ違う。それは、物理的、化学的な試験によっても証明できないほどの微妙な差であるが、市場では長い経験によってそれぞれを区別し、値段も取り扱いも違っている。例えば、ヒノキの中では木曾産のものが最高級だ、といったような評価である。
 また、木はそれが生育した土地で使われたとき、いちばんしっくりとして長持ちするということも、木に詳しい人たちのよく知るところである。これは木のもつ風土性とでもいうべきもので、どこか食べ物の話に似ている。その土地でとれた素材を使い、伝統の調理法でつくった料理がいちばんうまい、というのと同じような意味あいである。 ヒノキの属には世界に六つの種があるが、なかでも日本のヒノキは材としての風格が一段と高い。だからこそ白木造りの建築が生まれたのであるが、それは日本という風土の中に置かれたときが最もふさわしく、また性能も発揮する。つきつめていえば、木曾のヒノキは木曾で使われたとき、奈良のヒノキは奈良で使われたときが、いちばんしっくりするということになるだろう。
 私たちは、機械文明の恩恵の中で、工学的な考え方に信頼を置くあまり、数量的に証明できるものにのみ真理があり、それだけが正しいと信じすぎてきたきらいがあった。だが、自然がつくったものは、木のように原始的で素朴な材料であっても、コンピューターでは解明できない側面をもっているのである。
 自然がこんなにもかけがえのない大切なものだと思われるようになった時代は、かつてなかったにちがいない。「二十世紀は機械文明の時代だが二十一世紀は生物文明に移る」という意見がある。今、私たちにとって大切なのは、科学万能主義の行き過ぎを反省し、生命をもつものの神秘さにもっと目を向けることであろう。木綿や木のよさを見直そうという最近の動きは、そのことを示唆しているように私は思う。
*法隆寺のヒノキの柱――1,300年たっても強さは新しい柱とかわらない