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木の魅力と日本の住まい

木の文化と金の文化

ヨーロッパではミラノの大寺院もケルンの大聖堂も、壮大な人工美ではあるが、樹木との取り合わせは考えられていない。山上に建つギリシャのパルテノンでさえも、樹木のない大理石と幾何学でつくられた殿堂で、生物系の素材とは全く無縁の存在である。一方、日本では伊勢も日光も、神の宮居は樹木あってこその神域で、緑の参道を通って神様に近づくようにつくられている。参道の形はさまざまだが、出羽三山の羽黒山はその代表的なものの一つだろう。
 頂上にある三社合祭殿にたどりつくまでには、二千数百段に及ぶ急峻な石段を登らなければならない。その両側には数百年を超えるスギの大木が天を覆って立ち並び、昼なお暗く頭上の梢の間からわずかに日の光が漏れてくる。参道を通るあいだに、身も心も清められて神々しい気持ちになってしまう。
 この参道を登っているうちに、私はこれはどこかで見たことのある光景だと思った。そしてゴシックの大寺院の内部を思い出して、ああこれだなと納得できたように思った。ゴシック寺院の中に入ると、両側には太い石の柱が立ち並び、天井はアーチ形の凹みが連なってほの暗く、頭上のステンドグラスの窓を通して薄い光が漏れてくる。なんともいえない厳粛な気持ちになるが、それはスギ並木の細くて長い参道の空間とそっくりだ。
 人間が神に近づいていく通路をつくるに当たって、一方は生きた木でその空間を構成し、一方は石の柱でそれを造り出している。造形的な発想ではどちらも同じ考え方から出発しているが、使う素材の違いによって、日本は木の文化を育て、ヨーロッパは石の文化を築きあげてきたのである。
 材料の違いといえば、もっと身近に食事の例がある。ヨーロッパでは金属のナイフとフォークで料理を食べるが、日本では白木の割りばしを使ったほうがうまいと思う。同じ物を食うのに金と木の対比がある。その違いを生んだものこそが、本当の文化なのであろう。やはり日本は木の国であり、緑の国なのだとしみじみ思う。
 木の文化と金の文化とでは発想の方法が違うことを先に書いたが、ここではものを知る方法ということを例にしてそれをまとめてみよう。およそものを知るには三つの方法がある。それは「分ける」と「つかむ」と「さとる」とである。第一の「分ける」というのは、対象物を順次分解していって、その最終端末のエレメントがすべて分かれば、それで全体が分かったとみなす分析的な理解の方法である。これはヨーロッパ的な考え方で、われわれが明治以降受けてきた教育はすべてこれであった。分けるという字と分かるという字が同じなのもそのためであろうし、解明という字が使われるのは、分解すれば明らかになるという考え方が根底にあるからであった。
 一方日本では、これに対して「つかむ」という考え方をする。これは分析式とは逆の方向のもので、はじめにまずものを全体としてとらえ、必要に応じて細部をおさえていくというやり方である。日本では古くからこの総合的な「つかむ」というとらえ方が得意で、わが国の文化も芸術も、ほとんどこれを基礎にしてできあがってきたといってよい。 三番目の「さとる」というのは、分けるとつかむとを組み合わせ、しかも一段次元の高いところがら理解しようとする方法である。古来、高僧たちが修行の目的としたのは、これであった。ヨーロッパ的分析法も、そのねらいがここにあることはいうまでもないが、ただ入口が日本とは違うのである。それはちょうど、どちらも宿士山の頂上をねらっているのに、一方は駿河口から、一方は甲州口から登ろうとしているようなものである。日本はずっと甲州口から登ってきたのに、明治のはじめに駿河口に乗り換えたのであった。
 ところでいま、日本の文化が突き当たっている壁は、明治百年のあいだ分析的な方法で進んできたためにおこった矛盾を、どのようにして軌道修正するか、ということであろう。それにはベクトルの方向を逆転させる必要がある。つまりもう一度木の文化の発想を見直すべきではないかという意味である。* 16世紀のイギリスのテーブル。木製だが金属のような使い方をしている