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第2章 木の文化のルーツ

5.針葉樹文化と広葉樹文化

樹木は大別して、針葉樹と広葉樹とに分けることができる。この区分は立木を植物学的な立場からみたときの分類であるが、一方、木を工芸的に取り扱う実際の立場からみても、同じような区分が当てはまる。このことは木を造形的に使うとき特に留意しておきたいことである。 例えば、私たちが洋風の建物の内装の仕上げや、家具を作るとき使うのは広葉樹で、針葉樹はほとんど使わない。一方、和風の伝統的な建物を作るときは事情は全く逆で、すべて針葉樹が使われ、広葉樹が使われるのは、むしろ例外に属する。いいかえれば、西洋におけるインテリアの構成は、広葉樹を基盤として成り立っており、日本におけるそれは、針葉樹を主材として成り立っている、ということである。
 このように針葉樹と広葉樹とが、その使われ方に東と西ほどの相違が生まれたのは、二つの材の細胞の構成が違うためである。木材の構造の詳細については第六章で述べるが、ここでは以下の説明に必要なことだけを簡単に書いておこう。針葉樹は仮道管が九十パーセント以上を占めているため、木肌は精細でキメがこまかい、また柔らかな絹糸光沢をもち、白木のままで美しく、絵絹のようなうるおいがある。一方、広葉樹のほうは、針葉樹よりも植物的に進化しているため、組織が複雑で、木目は変化に富み、材質は堅硬だが、材面は粗い。だから削ったままの肌では美しくないが、いったん塗装すると、がぜん綺麗になる。つまり木肌で比べると、あたかも針葉樹は絵絹であるのに対して、広葉樹は洋画のカンバスのような味わいの違いをもっている。
 このように考えてくると、広葉樹の材が、西洋の金属や石材にかこまれたインテリアの中で主役をつとめ、針葉樹の材が、木と紙とタタミの住まいの中で主材になったのは、きわめて自然の成り行きであったことが分かる。私たちが洋風のインテリアで木に求める役割は、金属や石材との釣り合いである。一方、和風の室内においては、紙やタタミと釣り合う白木の肌を求めているのである。
 ところで加工に使う刃物も、針葉樹と広葉樹とでは違う。軟材の針葉樹は切削角度が小さいほうがよいが、硬材の広葉樹では角度を大きくしないときれいに削れない。だから軟材の刃物は、硬材の工作には使いにくい。いわゆる指物師といわれる人たちが、簡単に洋家具を作れないのは、硬材の刃物になじみにくいためである。
 違った材料を使い、工具を異にすれば、生み出される作品が変わってくるのは当然のことである。造形材料としての木の使い方に、針葉樹の白木を基調にした日本的な流れと、塗らなければ味の出てこない広葉樹の西洋的な流れとが生まれて、明らかな対比をみせるようになったのは、材質の違いを考えれば、ごく自然のことのように思われる。
 針葉樹と広葉樹との違いはまた、つぎのようにたとえることができそうである。ひと口に肉といっても、魚肉と獣肉とではずいぶん違う。組成も栄養も違うから、調理法も味付けもおのずから変わってくる。その違いを木についていえば、針葉樹は魚肉にあたり、広葉樹は獣肉に相当する。獣肉の料理がわが国に紹介されたのは明治のはじめであった。いまでは誰もが好むビフテキも、当時は夷狄の食べ物として敬遠されたのである。
 広葉樹の木肌がわれわれの生活の中に入ってきたのは、やはり同じころであった。それまで私たちは、針葉樹の白木の肌にしか親しんでいなかったから、ニスの分厚く塗られたナラの木肌には、牛肉の脂っこさのような戸惑いを感じた。だが一方では、それを文明開化のシンボルとしても受け取ったのである。針葉樹の白木の肌が貴重であれば、タタミ、障子といった植物材料がそれを取り囲むことになる。石と煉瓦で構築され、ブロンズで飾られた部屋には、動物質のじゅうたんを敷き、ニスの分厚く塗られた広葉樹の家具をおかないと、釣り合いがとれない。 一般には、西洋文化に対する東洋文化の性格の違いを、金属に対する木材として比較されているが、私はそれを木材という範囲に限るなら、広葉樹文化と針葉樹文化という言葉におき換えることができると思う。* (上)針葉樹(アカマツ)、(下)広葉樹(ハリギリ)の木口面の電子顕微鏡写真