以上のように考えてくると、白檀の代用材としてクスノキが選ばれた
理由は、ごく自然の成り行きであったと思われるのである。
飛鳥時代は、仏像はもちろんのこと工芸品でも、彫刻の部分にはクス
ノキが使われていることは、以上に述べたとおりである。つまりこの時
期はクスノキの時代といってよいわけであるが、ここにただ一つの例外
がある。それは私たちに馴染みの深い京都太秦広隆寺の弥勒菩薩像で、
この像がアカマツで彫られていることを私が発見したのである。そのこ
とについて説明しよう。
飛鳥時代は、仏像はもちろんのこと工芸品でも、彫刻の部分にはクス
ノキが使われていることは、以上に述べたとおりである。つまりこの時
期はクスノキの時代といってよいわけであるが、ここにただ一つの例外
がある。それは私たちに馴染みの深い京都太秦広隆寺の弥勒菩薩像で、
この像がアカマツで彫られていることを私が発見したのである。そのこ
とについて説明しよう。
ご存じのとおり広隆寺には木彫の弥勒像が二つある。一体は有名な宝
冠弥勒で、もう一体は宝髻弥勒である。宝冠弥勒像の由来については、
従来から二つの説があった。その一つは日本で彫られたというものであ
り、もう一つは朝鮮渡来とするものである。前者の説くところは、宝髻
弥勒のほうはその固い表情から俗称を「泣き弥勒」といわれているよう
に、いかにも稚拙な彫り方の残る像である。そこでこれが朝鮮渡来の原
像で、それをもとにして日本で彫られたのが、柔らかい表現の宝冠弥勒
だというものである。つまり朝鮮から来た原型はあまり巧くないが、日
本に伝わってから技術が上達して、遂にあの美しい宝冠弥勒が生まれた
という論法である。
一方朝鮮説のほうは、『日本書紀』の中に推古十一年(六〇三年)に
百済から、また同じく三十一年(六二三年)に新羅から仏像を献上した
という記録がある。宝冠弥勒はたしかに美しい像ではあるが、その表情
からみてどうも日本人らしくないところがある。だからこれが朝鮮から
の献上仏にあたるのではないか、という説である。
そこで私は判断の手がかりをつかむため、宝冠弥勒像の用材を調べて
みることにした。その結果アカマツであることが判明したのであるが、
その経緯についてもう少し詳しく説明しよう。
この像を調査したのは昭和二十三年であるが、それを思い立った動機
は次のようである。戦時中私は京都大学の学生だったが、ときどき美術
史の臨地講演について行った。広隆寺に行ったとき、古美術研究の業績
で昭和五十八年度の朝日賞を受賞された源豊宗先生が「この像には日本
説と朝鮮渡来説と二つの考え方がある。だれかそれを科学的な立場で明
らかにする人はいないだろうか」という話をされた。またそれに加えて
法隆寺の「玉虫の厨子」の話もされた。それは京都大学農学部昆虫学教
室の山田保治先生が、装飾に使われている玉虫の羽を調べて、日本産の
玉虫のものだという説を出したというのである(山田保治「古代美術工
芸品に応用されたタマムシに関する研究」-「京都大学農学部昆虫学研
究室」昭七)。この話にはたいへん興味をそそられた。その後私は京都
のある大学に勤めることになって彫刻の用材の研究を始めたが、源先生
の話を思い出して、広隆寺の弥勒の材質を調べてみようと考えた。
当時はまだ戦後間もないころで、冬の寒い夕暮れであった。お寺へ行
って住職さんにその旨を頼んだところ、申し出を聞き届けて弥勒像をひ
っくり返し破片を取ってくれた。いただいた試料は像の内刳のへその裏
あたりから取ったもので、爪楊枝の五分の一くらいの大きさであった。
それと一緒に宝髻弥勒も小さな内刳の破片を貰うことができた。おそら
く住職さんはそのとき、宝髻弥勒は朝鮮渡来で、宝冠弥勒は日本制作と
いう結果が出ることを期待していたのだと思う。だが結論は全く逆にな
った。今にして考えると、もしあのとき木片を脚のところから削っても
らっていたら、私はあとあとまで彫刻用材の研究を続けることはなかっ
たろうと思う。というのは脚の部分は日本美術院(現在の財団法人美術
院)の新納忠之介氏が修理されていて、用材にクスノキを使っていたか
らである。最も深い経験をもつ新納氏も弥勒像は飛鳥時代のものだから
クスノキで彫られていると信じていたに違いない。
さて試料を持ち帰って顕微鏡で調べてみたところ、宝冠弥勒はマッ属
の一種、宝髻弥勒はクスノキであることが判明した。初め私は何かの間
違いではないかと疑った。とうのはそれまでの調査資料から、マツなど
が使われているとはとても考えられなかったからである。ところがよく
調べてもマツ属の一種であることに間違いはない。それは写真(七一ペ
ージ参照)の木口面でもわかるようにヤニの通る樹脂溝がはっきり認め
られたからである。ご承知の通りマツ属には五葉のものと二葉のものと
がある。アメリカには三葉のものもあるがこれは対象にはならない。二
葉のマツというのはアカマツとクロマツで、五葉のマツというのはヒメ
コマツ、ゴヨウマツ、チョウセンゴヨウなどである。五葉のマツの材は
ヤニが少なく柔らかくて彫りやすいから、仏壇の彫刻などに使われてい
る。上等はヒノキだがその代用材になっているくらいだから、多分五葉
マツの一種だろうと思ったのである。
ところがさらに詳しく調べていたところ、運よく七一ページの写真の
ような柾目面があらわれた。たて方向に並んだ細胞と横方向に走る柔細
胞が交叉したところに人の目の形をした穴があいている。これで二葉の
マツに間違いないことがはっきりした。さて二葉だとするとアカマツか
クロマツのいずれかということになるが、日本的センスでいえばマツは
とても彫刻用材の候補に入るような木ではない。さてここまでは判明し
たが、それ以上の識別は顕微鏡によっては不可能である。そこで私は他
の資料と合わせ、総合的に判断してアカマツという結論を出したのであ
る。
*広隆寺・宝冠弥勒像(アカマツ)広隆寺・宝髻弥勒像(クスノキ)
*広隆寺の宝館弥勒(アカマツ)
*木口 征目 板目
*広隆寺の宝髻弥勒(クスノキ)
*木口 征目 板目
*中宮寺の弥勒菩薩(クスノキ)
*木口 征目 板目