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第3章 クスノキの時代とアカマツ像の秘密

3.アカマツ像と朝鮮渡来説

以上のように考えてくると、白檀の代用材としてクスノキが選ばれた理由は、ごく自然の成り行きであったと思われるのである。飛鳥時代は、仏像はもちろんのこと工芸品でも、彫刻の部分にはクスノキが使われていることは、以上に述べたとおりである。つまりこの時期はクスノキの時代といってよいわけであるが、ここにただ一つの例外がある。それは私たちに馴染みの深い京都太秦広隆寺の弥勒菩薩像で、この像がアカマツで彫られていることを私が発見したのである。そのことについて説明しよう。 
飛鳥時代は、仏像はもちろんのこと工芸品でも、彫刻の部分にはクスノキが使われていることは、以上に述べたとおりである。つまりこの時期はクスノキの時代といってよいわけであるが、ここにただ一つの例外がある。それは私たちに馴染みの深い京都太秦広隆寺の弥勒菩薩像で、この像がアカマツで彫られていることを私が発見したのである。そのことについて説明しよう。
 ご存じのとおり広隆寺には木彫の弥勒像が二つある。一体は有名な宝冠弥勒で、もう一体は宝髻弥勒である。宝冠弥勒像の由来については、従来から二つの説があった。その一つは日本で彫られたというものであり、もう一つは朝鮮渡来とするものである。前者の説くところは、宝髻弥勒のほうはその固い表情から俗称を「泣き弥勒」といわれているように、いかにも稚拙な彫り方の残る像である。そこでこれが朝鮮渡来の原像で、それをもとにして日本で彫られたのが、柔らかい表現の宝冠弥勒だというものである。つまり朝鮮から来た原型はあまり巧くないが、日本に伝わってから技術が上達して、遂にあの美しい宝冠弥勒が生まれたという論法である。
 一方朝鮮説のほうは、『日本書紀』の中に推古十一年(六〇三年)に百済から、また同じく三十一年(六二三年)に新羅から仏像を献上したという記録がある。宝冠弥勒はたしかに美しい像ではあるが、その表情からみてどうも日本人らしくないところがある。だからこれが朝鮮からの献上仏にあたるのではないか、という説である。
 そこで私は判断の手がかりをつかむため、宝冠弥勒像の用材を調べてみることにした。その結果アカマツであることが判明したのであるが、その経緯についてもう少し詳しく説明しよう。
 この像を調査したのは昭和二十三年であるが、それを思い立った動機は次のようである。戦時中私は京都大学の学生だったが、ときどき美術史の臨地講演について行った。広隆寺に行ったとき、古美術研究の業績で昭和五十八年度の朝日賞を受賞された源豊宗先生が「この像には日本説と朝鮮渡来説と二つの考え方がある。だれかそれを科学的な立場で明らかにする人はいないだろうか」という話をされた。またそれに加えて法隆寺の「玉虫の厨子」の話もされた。それは京都大学農学部昆虫学教室の山田保治先生が、装飾に使われている玉虫の羽を調べて、日本産の玉虫のものだという説を出したというのである(山田保治「古代美術工芸品に応用されたタマムシに関する研究」-「京都大学農学部昆虫学研究室」昭七)。この話にはたいへん興味をそそられた。その後私は京都のある大学に勤めることになって彫刻の用材の研究を始めたが、源先生の話を思い出して、広隆寺の弥勒の材質を調べてみようと考えた。
 当時はまだ戦後間もないころで、冬の寒い夕暮れであった。お寺へ行って住職さんにその旨を頼んだところ、申し出を聞き届けて弥勒像をひっくり返し破片を取ってくれた。いただいた試料は像の内刳のへその裏あたりから取ったもので、爪楊枝の五分の一くらいの大きさであった。それと一緒に宝髻弥勒も小さな内刳の破片を貰うことができた。おそらく住職さんはそのとき、宝髻弥勒は朝鮮渡来で、宝冠弥勒は日本制作という結果が出ることを期待していたのだと思う。だが結論は全く逆になった。今にして考えると、もしあのとき木片を脚のところから削ってもらっていたら、私はあとあとまで彫刻用材の研究を続けることはなかったろうと思う。というのは脚の部分は日本美術院(現在の財団法人美術院)の新納忠之介氏が修理されていて、用材にクスノキを使っていたからである。最も深い経験をもつ新納氏も弥勒像は飛鳥時代のものだからクスノキで彫られていると信じていたに違いない。
 さて試料を持ち帰って顕微鏡で調べてみたところ、宝冠弥勒はマッ属の一種、宝髻弥勒はクスノキであることが判明した。初め私は何かの間違いではないかと疑った。とうのはそれまでの調査資料から、マツなどが使われているとはとても考えられなかったからである。ところがよく調べてもマツ属の一種であることに間違いはない。それは写真(七一ページ参照)の木口面でもわかるようにヤニの通る樹脂溝がはっきり認められたからである。ご承知の通りマツ属には五葉のものと二葉のものとがある。アメリカには三葉のものもあるがこれは対象にはならない。二葉のマツというのはアカマツとクロマツで、五葉のマツというのはヒメコマツ、ゴヨウマツ、チョウセンゴヨウなどである。五葉のマツの材はヤニが少なく柔らかくて彫りやすいから、仏壇の彫刻などに使われている。上等はヒノキだがその代用材になっているくらいだから、多分五葉マツの一種だろうと思ったのである。
 ところがさらに詳しく調べていたところ、運よく七一ページの写真のような柾目面があらわれた。たて方向に並んだ細胞と横方向に走る柔細胞が交叉したところに人の目の形をした穴があいている。これで二葉のマツに間違いないことがはっきりした。さて二葉だとするとアカマツかクロマツのいずれかということになるが、日本的センスでいえばマツはとても彫刻用材の候補に入るような木ではない。さてここまでは判明したが、それ以上の識別は顕微鏡によっては不可能である。そこで私は他の資料と合わせ、総合的に判断してアカマツという結論を出したのである。*広隆寺・宝冠弥勒像(アカマツ)広隆寺・宝髻弥勒像(クスノキ)*広隆寺の宝館弥勒(アカマツ)*木口 征目 板目*広隆寺の宝髻弥勒(クスノキ)*木口 征目 板目*中宮寺の弥勒菩薩(クスノキ)*木口 征目 板目