第4章 白木の肌と日本人の美意識

2.ヒノキの発見

乾漆像や塑像はまず木で骨格をつくりそれから仕上げていくもので あるが、その芯木を調べてみたところ、いずれもヒノキが使われている ことが判明した。ただ一つの例外は私の調査した範囲では、唐招提寺鼓 楼の乾漆仏だけで、これはサクラでつくられていた。芯木にヒノキを選 んだことは、木の性質を知り、適材を適所に使い分けることのできる木 匠がいたことを意味する。奈良時代は金工や漆工など、ほかの工芸の技 術の高さはよく知られているが、それと同様に、木工についても高い技 術があったとみるべきであろう。
 彫刻師たちはヒノキを芯材として使っているうちに、おそらくこの木 で、乾漆像や塑像よりも繊細で柔らかい表現を、仏像全身ににじみ出さ せることができると思い当たったに違いない。クスノキという硬材の制 約にあき足りなくなった木匠たちは、ヒノキの刃当たりのよさや木肌の 美しさに接して、さらに新しい造形意欲をかり立てられたのであろう。  木肌への郷愁といえば次のような例がある。大和の当麻寺本堂にある 須弥壇は奈良朝末期のものであるが、その勾欄をみると、黒漆で仕上げ た面の上に朱漆で木目が書かれている。また正倉院の御物をみると、蘇 芳地金銀絵床脚寵箱は、粉地に美しい木目が書きあらわされているし、 聖武天皇の御倚子にも同様に木目が書いてある。これは奈良時代の人た ちが、塗りつぶされた漆地や粉地ののっぺりとした肌に、なんとなく物 足りなさを感じたためとみてよかろう。
 日本人は木目を見ないと落ち着かない人種らしい。そのことは現在名 古屋市郊外の明治村に行っても分かることである。ここには明治初年の 西洋館が建っていて、木造の建物をペンキで塗って仕上げてある。その 室内を見るとペンキ塗りの上にていねいに木目を書いたものがある。私 たちの祖先は、何百年ものあいだ木綿と木にかこまれて暮らしてきたが、 そこへ急にヨーロッパ文明が入ってきて、白木の上にペンキを塗ること になった。それがなんとも馴染みにくかったので、ああした木目を書い たのであろう。そういえば木片の交錯した文様を楽しむパーティクルボ ードが流行したのは、戦後のアメリカ進駐軍がペンキ塗りの家具をはや らせたときであった。
 いま私たちはエレベーターや電車に乗ると、すばらしい木面の壁面を 見ることがある。ほっとして触わってみると、カンカンと鉄板の音がす る。なんとなく裏切られた寂しい気持ちになるが、これもまた前記と同 様の例である。木への郷愁の強さは、家具や造作に使うメラミン化粧板 が、ほかの国では無地や模様のものが多いのに、日本では木目を印刷し たものが一番よく売れることからも分かる。テレビやステレオのキャビ ネットも、木目仕上げにしないと人気がない。プラスチックで作ったテ レビに、ウッディ」などという名称がつけられるのは、いかにも日本的 な産物である。
 以上に述べたことは、日本人の多くが心のよりどころを木に求めてい るあらわれとみてよかろう。それが奈良、明治、昭和といずれの時代で あるとを問わず、海外文化の大きな流れが木肌を押し流そうとするとき、 常に抵抗してあらわれてくるのはたいへん興味深いことである。私たち は西洋的な物の見方と材料の取り扱いに、すでに一世紀の経験を持って きている。それにもかかわらず、今なお金属質の硬くて冷たい感じには、 どうも親しみにくいものがあるらしい。
 ところで同じ木の中でも、広葉樹の材質感は金属に近いが、針葉樹の 材質感はそれよりもずっとソフトである。つるつるに塗った広葉樹の材 面は平板的で、いかにも金属を思わせるが、針葉樹の木肌は絵絹のよう なうるおいを持ち、輪郭線にはボケによる奥行き感がある。ヒノキにヤ リガンナや彫刻刀のノミあとを残して仕上げていくのは、この特質をい っそう効果的にする手法にほかならない。