こんどは一つの樹種を例にして、その盛衰のあとをたどると、木はい
かにも人間くさいという話を書こう。
針葉樹を代表するものに、ヒノキ、スギ、マツがあることは、誰でも
よく知っている。だが正確にはマツという木はない。そういうと意外に
思う人もあろうがこれはマツ科を代表する属の名称である。マツ属には、
前にも述べたように葉が五枚のものと二枚のものとがあって、前者にゴ
ヨウマツやヒメコマツがあり、後者にアカマツとクロマツがある。アカ
マツはめまつともいい、幹が赤くて山地に生える。クロマツはおまつと
いい、幹が黒くて海岸に生える。この二つをふつうマツとよんでいるが、
どちらもわが国の風景を形づくる代表的な木で、日本文化と極めて深い
関係をもってきた。その理由はこの木の形と生態のためであった。
まず形だが、幹は一年に一回枝が輪形に出るから、若木の間は、枝の
段数で樹齢が分かる。しかも幹はまっすぐで、左右対称だから形が美し
い。門松に使われるゆえんである。
一方老木になると、強風や虫害などのために幹が曲がる。樹皮には亀
甲形の割れ目があらわれて、独特の風格がそなわってくる。地方ごとに
マツの名木が多くそれにまつわる伝説が残っているのは、このためであ
る。そうした理由で「マツの常磐」「ツルの延年」の取り合わせが生ま
れ、また鳥の王者のタカと組み合わされて画題になった。そのほか謡曲
になり、家紋に使われ、芸術の面で多くの素材を提供して次第に樹木の
首位の座を占めるようになったのである。
日本人は自然を愛するというが、それは人工の加わった自然美であっ
て、天然のままの野性ではない。自然美の代表といわれる盆栽も日本庭
園も、実は人工美の極致なのである。日本庭園にマツは欠かせない主役
だが、この木は人工的整形にもよく順応して形を変える。有名な高松の
栗林公園の美しさは、マツの美しさにあるといってよいほどだが、あれ
は人工による奇形のマツの大群落で自然のままの樹形は少ない。このよ
うに考えてくると、盆栽を愛し石庭を愛した日本人に、マツはなくては
ならないペット的存在であった、ともいえる一面がある。
さて一方、用材としてみたマツは、それほど優秀ではない。木目が荒
いうえにヤニを含んで、加工しにくいし美しくもない。ごく平凡な材で
ある。歴史上の作例としてマツが使われているのは、僅かに建築では出
雲の神魂神社、彫刻では京都太秦の広隆寺の宝冠弥勒像だが、いずれも
朝鮮の影響を受けたもので、むしろ例外に属する。つまり用材としての
マツの地位は、立木よりも数段低いのである。
次はマツの生育条件であるが、土地に対する要求はむずかしくない。
樹木の中には、若木の間は強い陽光をきらうものが多いが、マツは丈夫
で枯れない。山林が切り開かれると、地表が乾燥するうえに肥料になる
木の葉も落ちないから、土地はたちまち荒れてしまう。それでもマツは
育つ。もともと痩せ地向きの樹木なのである。防風林、防砂林に用いら
れるのはこのためである。山崩れで赤禿になったところには、まずコケ
が生え、草が生え、やがてマツが生えて、その日陰にほかの若木が育ち、
もとの自然を取り戻す、といった道筋をたどる所が多い。京都をはじめ
古くから開かれた土地に、マツ林が多いのは乱伐の跡を物語っている。
マツで国土が覆われるのは、森林育成という立場からみると、好まし
い姿ではないというので、戦前に「赤松亡国論」という説が出たことが
ある。当時はまだ良材が多かったので、マツにはそれほど期待しなくて
もよかったのである。
しかし敗戦によって事情は一変した。戦争中の乱伐で木が足りない。
質よりも量の確保が焦眉の問題になった。そこへ登場したのがマツとブ
ナである。この二つは蓄積量が多かったので、当時の窮状を救うピンチ
ヒッターになった。マツはパルプと枕木に使われた。戦前のパルプはエ
ゾマツ・トドマツでつくられたが、それが入手できなくなってアカマツ
が代用材として急場を救った。また枕木はクリであったが、そんなぜい
たくはいえない。釘がゆるんだり、レールの重みでくぼんだりすると苦
情をいわれながら、ともかくあの苦境を乗り切るのにマツは大きな役割
を果たしたのである。
ところで最近における話題はマツクイムシである。その被害は樹齢四
十年の木に換算して年間一千万本、十三万戸の住宅の用材に匹敵すると
いう。「マツは日本人のこころ、日本からマツが姿を消すのは国難だ」
という声すらあるが、被害前線は次第に北上して猛威は一向におさまり
そうにない。
それにしてもマツクイムシはどうしてはびこるようになったのか。外
国からの侵入説がある。マツは何千年も前からあったのに昔は被害がな
かった。明治末期に輸入された材とともに上陸したという見方が強い。
以上に述べたのはマツの地位や生態、戦前戦後の役割などについてで
あるが、その道筋をたどると、あたかも一つの民族の盛衰のあとを物語
るようで、いかにも人間くさい。