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第7章 木材供給の歴史

1.木材資源の枯渇

これまでに私は、木彫用材の移り変わりの跡を通して、わが国における木の文化のルーツをさぐって来た。そのねらいは、私たちの生活と木とのかかわりが、今後、どのように推移して行くかについて、何らかの示唆を得ようというところにあった。その場合、一番大きく影響してくる因子は資源の供給ということであろう。木の供給が減れば、木造建造物は減るが、それは同時に木の技術者の減少を意味し、さらに心の問題にまで影響に与えるであろうから、過去にどんな立派な栄光の歴史があったとしても、木の文化はもはや衰退の道をたどるより外はないであろう。
 考えてみると、私たちの国土は山紫水明の「美し国」であった。地球を覆う樹木は約二万種で、その一割の二千種が日本に生育しているという。そうした環境にあったため私たちは永遠に木の恵みの中で暮らしていけると信じていたのである。だがヨーロッパ文明に追いつくことを目標とした明治のはじめから、事情は大きく変わった。自然は人間の克服すべき対象で、やがて工業技術の進歩によって、自然を支配できると信じたときから、木に対する愛情は失われはじめた。そして木が私たちの手から離れて、遠いところへ去って行こうとするいまになって、ようやく緑のありがた味に気がつきはじめたのである。
 ここでわが国の森林資源について簡単に書いておこう。現在の森林面積は二千五百万ヘクタールで、国土の三分の二を占めている。地球上で森林が占める面積の割合は、陸地の約三十パーセントであるから、その意味では森林国といえる。しかし国民一人当たりの森林面積でみると、狭い国土に一億人もの人が住んでいるために、○・二ヘクタールにしかならず、世界の平均値の五分の一にすぎない。
 わが国は世界的に有数の木材消費国である。一九八二年の木材需要総量をみると、九千二百万立方メートルで、国民一人が年間に○・八立方メートルの木材を消費していることになる。それだけの木材は国内の森林資源ではまかない切れないので、六十四パーセントを外国から輸入している。国産材の供給は三割強でしかないということである。
 これまで輸入材は、針葉樹をアメリカ、カナダ、ソ連に頼り、広葉樹は東南アジアに頼ってきた。私たちは熱帯雨林というとジャングルを連想し、いくら森を切っても、すぐ木が生えてくると誤解していた面がある。熱帯では木が伐られてひとたび裸地になると、太陽が土地をあぶり、有機物はたちまち分解する。豪雨が表土を洗い流してあとは不毛の砂漠だけが残る。木材輸出のために、いまアフリカでもアジアでも南米でもすさまじい勢いで緑がはぎ取られている。
 国立アマゾン研究所の学者は、「一九九一年から二一五九年の間にアマゾンの主要な熱帯雨林はほとんど姿を消す」と予測し、インドネシアの国立公園長も、「このまま放置すれば森林はあと四十年で消える」と警告している。その熱帯雨林が全森林の四十~五十パーセントを占めているのである。
 人類の営みは長い間森林の営みとほぼ調和を保ってきた。その調和がいま音を立てて崩れようとしている。輸入もまた先は暗いのである。私はいま用材の三分の二を輸入に頼っているといったが、そういう木材不足の話のたびに出てくる話題は「割りばし論議」である。私たちが毎日使い棄てる割りばしで住宅をつくると仮定すると、一年間に二階建の家が一万戸建つ計算になる。つまり人口四万人の町の住宅分だけ、無駄に棄てているわけである。
 私たちは長く木に親しんで来たために、さらにまた清浄を尊ぶ文化のために、使い棄てを当たり前のことと思っている。そしてヨーロッパの人たちが銀のナイフとフォークを使うのはぜいたくで、木の箸を使うわれわれはいちばん質素だと信じている。しかしヨーロッパの人たちにいわせれば、銀の食器は一度作れば、子々孫々にまで伝えることができる。日本は木材不足でその大部分をよその国に頼っていながら、なんとぜいたくをしているのかと見ているのである。
 この発想の違いは、木の中で育って来た日本人と、金と石を使って来たヨーロッパ人との考え方の違いでもある。私たちの木の文化はたしかに素晴らしいものに違いないが、その反面欠けたところのあることも素直に認めなくてはならないのである。
 木材は嵩が大きいので、昔は地域の材料であった。だがいまでは国際的な材料になって、需要のあるところにはどこからでも運んでくる。そのため木材資源の不足という実感を、日常生活の中で体験することはない。しかし世界的な森林資源の枯渇は、そうした楽観的な見方に対して強い警鐘を鳴らし始めている。
 さきごろの石油ショックはまだ私たちの記憶に新しいが、外材の供給がじわじわと窮屈になって、木材ショックは何時おこるかも知れないと憂える人も少なくない。いずれにしても木の造形を語るには、その背景になる資源の供給ということを考えないわけにはいかない。そこで以下は古い時代の木の供給について考えてみることにする。その中から将来への教訓を学び取ろうというのが目的である。
 私が右のように考えるのは次のような体験があるからである。二十数年前のことである。林野庁幹部の会合が奈良で開かれ、たまたま私が東大寺を案内した。南大門(一八七ぺージ写真)をくぐるとき、もしこの南大門が焼けたら、果たして国産材で再建できるか、という話が出た。全国の営林局長が集まっていたが、結論は望みなしということであった。 東大寺の一つの門ですら、林野庁をあげて努力しても用材は集まらないというのである。事実、近年に建てられた主要木造建造物は、すべて輸入材のヒノキで造られている。奈良法輪寺三重塔、薬師寺金堂、西塔、中門、天理教高安大教会の神殿、北海道神社、および京都平安神宮本殿、みな然りである。身近な明治神宮の鳥居もまた台湾ヒノキである。最近完成した国立能楽堂も内部はすべて台湾ヒノキで、僅かに舞台の床だけに木曾ヒノキが使われている。伊勢神宮だけが国産の木曾ヒノキだが、それすら何時までも安泰というわけではない。
 台湾は国内向けには南方の輸入材を使って、ヒノキを日本に輸出している。まさに麦を食って米を売っているのである。そうした事情に支えられて、日本は木造文化の誇りを保っているわけであるが、これが何時までも続くという保証はない。その対策を考えるための参考資料として、古い時代の木材輸送事情を振り返ってみようというのが、本章のねらいである。
 ところで自然破壊が進むにつれて、最近絶滅という言葉を聞くようになった。絶滅の身近な例にトキがある。トキの学名はNipponia nipponという。その文字の示すように、以前は日本で、ごく普通に見られる鳥であった。色彩の名に「トキ色」というのがあるが、それもまたこの鳥が身近に棲んでいた証拠である。だがいまでは確認できるのは日本に三羽、中国に十一羽、韓国に二羽であるという。まさに絶滅寸前である。トキが滅亡に追い込まれたのは鉄砲という武器が発明されたためであった。武器が進歩すると獲物は根こそぎとられてしまう。しかも価値のある美しいものほどねらわれるという皮肉な運命をもつ。
 アフリカの象も東南アジアのサイもまた絶滅の危機にさらされているという。殺りくのための火器が発達したからである。機械文明の発達は人類に豊かさをもたらしたが、動物と植物には、大きな不幸をもたらしたのである。
 森林の伐採についても同じことがいえる。明治のはじめまでは、伐採は人力によっていたから、おのずから抑制があった。だが電動鋸と運材機械の発達は事情を一変させた。数百年かかって育った樹木も、一瞬のうちに伐り倒され、都市に運び出されてしまう。私はテレビで山林の伐採の現場を見ていると胸が痛む。数百年かかって育った生命を、あっという問に断ち切ってしまう。地球上からは毎年日本の面積の半分にあたる森林が消えていくというが、このままでよいのだろうか。国破れて山河ありというが、国栄えて山河は荒れていくのである。日本の木の文化は他国の犠牲において成り立っているという非難もあるが、このままでよいのかとしみじみ思う。
 東大寺の建物の歴史は古い時代における木材の輸送事情を知るのに好適なテーマだし、江戸城は一つの建物をつくるのにどれほどの木材が必要かを知るよい例だから、以下この二つを通して主題について考えてみることにしよう。
*東大寺・南大門は鎌倉時代の再建で、天竺様式を伝える唯一の建物でる