| 言葉の使い分け | |||||
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私なりの巨樹関係の言葉の使い分けには、今までの経験から下記の定義をつくり、それに 基づいたものである。 巨樹 幹廻り10メートル以上のもので日本ではすべて何らかの記念物の対象となっている。 巨木 幹廻り3メートル以上のもの、昭和63年の環境庁の調査によると、全国に55798本と 記録されている。 大木 ただ大きいだけで、その木に対する、思いが少ない場合に利用する、また用材の 対象とする場合も利用する。 古木 樹齢が古いもので、学術的に貴重なもの場合 名木 いわれのある木、特に歴史上の人物と関係あるものが多い、また歴史の記念のため の木もある。 銘木 これは一般的に樹木には使われない、用材として価値のあるものに使う単語。 木造住宅の床の間材として呼ばれる場合が多い。 | |||||
| きっかけ | |||||
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インターネットのホームページを制作、運用して何年か過ぎ、おかげさまで木材、森林、木工 などのホームページとして標準ホームページとなり、ページ数も4000*1をこえるまでとなった。 ホームページのコンテンツは、社内のに溜めていた文書データー等をホームページ用に変換 し利用しているので、あまり作成に手間はかからない。しかし画像のストックはなく、かといって 雑誌やパンフレットから借用するといったことはできない。 したがって、自社で調達しなければならないという結論になった。社員に撮影などをさせようか とも思ったのだが、日々の業務も忙しい状況なので、これまた無理である。 そこで、しかたなくというか、自分で植物園や街路樹の樹木の撮影をし始めた。撮影を始めて すぐにホームページに日本の巨樹名木の項目を作成しようと思い立った。そしてその撮影のた め昨年より各地を廻り出した。山などを歩くことにより、運動不足解消になるし、ちょっとやそっと で、廻りきれるものではないので、50過ぎの趣味にしようとも思ったのである。 幸い、写真は学生時代に一眼レフを購入して愛用していたことがあるから少しはなれている。 そんなこんなことから、日本の巨樹を撮影することになったのである。 | |||||
| 巨樹のある場所 | |||||
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| 天然記念物 | |||||
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| 巨樹に出会うと感動 | |||||
| 巨樹、巨木との出会い | |||||
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| 巨樹に会う前は | |||||
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どんな樹形をしているのだろうか、元気なのかなどと想像し、楽しみと不安が交差する。 書籍などでその巨樹の姿を見てはいても、実際に足を向けると、落雷に遭い写真で知る姿を とどめていない、などいろいろな現実があるからだ。 巨樹のある地区に着くと、その樹種と同じ木があちこちにある場合が多い。だが、どの木なの かは、遠くからわかる場合が多い。人家などから突き出ていたり、鎮守の森のような感じである からである。 | |||||
| 畏敬の念 | |||||
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なぜ、巨樹を見ると畏敬の念を持つのか。いろいろ考えてみたが、巨樹のもつ空間ではない だろうか。高さでもなく、太さでもなく、枝葉を含め自分より上を含めた空間がそうさせるように思う。 大きな空間というのは、人の五体で把握する範囲を超えているため、何か不安にある面をもって いると思う。私は不安が畏敬に変化すると考えている。 空間ということでいえば、私は小学校からキリスト教会に通い、小学生時代は大阪市西区の西 教会に通った。ここは西欧の教会と同じようなつくりで、礼拝堂は2階まで吹き抜けている。教会に 入ると、なぜか頭がさがるような思いがするのである。しかし、中学になったときに、豊中市に引越 し、別の教会に通った。そこの教会は民家を利用したものであった。牧師は有名な方であったが、 気分が教会にきた感じがしない。空間のない低い天井のため、息が詰まりそうなだけで、頭がさが るような思いがわきでてこないのである。これは信仰心が薄いためだと思っていたが、それだけで はなく、空間が人に与える魔力がなかったからだと思っている。 教会の礼拝堂は高さのある空間が必要だ。その後海外で教会に入ったときは自分の理屈どおりだ と確信した。また、アメリカで高さにおいては日本の2倍は十分にある、100メートル以上のレッドウッド の巨樹をいつくも見たが、期待したより、思ったより感動をしなかった。上に伸びているだけで、 空間がないからだろう。 | ||||
| 日本と世界の巨樹 | |||||
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| いろいろな巨樹との対話 | |||||
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巨樹の前に立つと樹木のある空間自体が小宇宙と思えてくる。鳥のさえずり、風の音、葉のこす る音が一体となり、概して薄暗く空気が濃い。別世界に入ったようだ。巨樹と会ったときは話を してみる。 何か語りかけてくるときもあるし、こちらが強く感じることもある。野瀬町の野間のケヤキを見たときは、 よく今日までがんばったなあと強く思い、石徹白の杉では、「どや、大きいやろ、びっくりしたか」と 語りかけられ、大阪壺井八幡のくすは「やっとここまでたずねてきたか、ここの人が大切にしてくれ るので、台風がきても倒れずにがんばってきたんや、早く勇姿を写真に撮ってくれ」と私に語った。 いろいろな巨樹と会い共通して感じること、思うことは大地にしつかり根を張り、エネルギーを吸 い上げそれを樹木空間に噴出して、長年の風雪にたえてきたその姿に圧倒される迫力と神秘的 な姿を見つけることができ、歴史の目撃者でもある。しばらくそこにいると不思議に心が落ち着く。 すさまじい生命力であり、宇宙の創造主の偉大さや巨樹が生きてきた長い時間から見れば自分 や、人間が小さく見えてしまう。小さなことにクヨクヨせずに大きな気持ちで、正しい方法で、仕事 に家庭に社会にがんばらなければと勇気づけられるのである。 巨樹をたずね歩くのは1年半になり200箇所*2 近く以上をたずねてきた。日曜等は他に用事が なければ、デジタルカメラと軍手、三脚等をリュツクに入れ巨樹めぐりをするのが私の楽しみに なっている。 | ||||