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故中川藤一さんとの思い出

ニチメン株式会社  代表取締役社長 日比野哲三
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中川さんが亡くなってから早や半年近く過ぎましたが、この追悼集の原稿を書いていると、中川さんとの懐しい想い出が次々と浮かんでまいります。

中川さんとはじめてお会いしたのは、確か昭和二十年代の後半だったと思いますので、かれこれ四十年近い長きに亘ってお付き合い願ったことになります。

当時は未だお互いに若かったし、今日のように外材輸入が主流を占めるなど誰も想像しえなかった時代でありました。

確か最初のお取引は、当時北海道を襲った台風で大量の風倒木が発生し、これの商内から始まったと記憶しております。

その後、北海道や信州産の抗丸太商内へと発展、更に長尺物の要望が多くなり、米国産ダグラスハァーのパイリングへと、輸入物を手掛けて行かれたと存じております。

中川さんは、仲々のアイディアマンで、かつ大変活動的な方でした。

昭和三十六+−三十七年には、大阪で日綿建友会の結成にご尽力賜り、当時大量に入荷し始めたベービースケアーや、内地挽き米製材品の末端販売を業界に先駆けてやって頂いたのをつい昨日のことのように思い出します。

中川木材店さんの取扱い品目を、主力のパイリングから現在の合板、建材、製材へと大きく方向転換された契機になったのがこの頃ではなかったかと思われます。

中川さんの功績は多々ありますが、特に思い出される事は、私も理事をしております世界的な森林団体であるワールド・フォレステウリー・センターと、中川さんがこれまた理事長をされておられた大阪木材工場団地協同組合との間に友好契約を結ばせ、記念事業として日本で最初の木材利用普及研修センター(ウッドリーム大阪)を同団地内に完成させられたことであります。

その完成時であったと記憶しますが、フォレステウリーセンターの専務理事夫妻を大阪での植樹祭に招待されたときのことや、六十二年夏に中川さんが団長として団地協同組合の理事の皆さんと、同センターの本部のある米国ポートランドを訪問された時のこと、或いは私自身六十一年にワールド・フォレステウリー・センターの西独に於ける世界大会に参加しましたので、その時の話題のこと等々髣髴として今なお私の眼前にあります。

私共ニチメンと中川木材店さんの取引は先にも申し上げたとおり四十年近くの永い間続いており数多くのお客さんの仲でも最長の方に入ると思います。

御子息も皆さん立派に跡を継がれ事業を発展させておられますが、私共も今後共出来る限りの御協力をさせて頂く所存であります。

益々の御発展を願っております。