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中川会長遺訓

全国ログハウス振興協会 井戸淳次
9.提供会社 | 樹には望みありTOPに戻る
「巷(ちまた)に雨の降るごとく、わが心にぞ、涙ふる」誠にわが畏敬する中川会長さんのご逝去は、惜しみても惜しみても勿体なく木材界の発展にとっても惜しい大先輩でありました。

孫子に「勢険節短」(勢いけわしくふしめ短し)とあり、物事の発展にかかせないもの、勢(いきおい)のあることを常に身をもって教えられた中川会長の面影が、お言葉が、今、脈々とわが脳裏によみがえってまいります。

その言葉のひとことふたことを、ご披露し、ご冥福を祈りたく存じます。

(一) 忘れもしない昭和六十一年六月十三日全国ログハウス振興協会設立発起人会が林野(二) 庁で開かれたが、その席上、色々甲論乙駁のあと、中川会長のつるの一声「わかっ(三) た。

僕が会長を引き受ける。

井戸君、君は専務理事だ。

あなたは古座、私は御坊何(四) れも同じ紀州出身である。

」と。

(二)中川さんがご自分の父君と、山源の先代の社長山本豊太郎とは義兄弟と人に言われるほどのじっ懇の間柄であったことをもじってか、中川、井戸、を「仲(中)が(川)いい(井)ど(戸)」(なか睦ましい意味)といわれたこと、まことに愛情こまやかで、恕(じょ)部下を思いやる気持ちのお強い方であったと今拝察しています。

(三)第十三回理事会(昭和六十三年八月二十三日中川さんが倒れる二日前)のあと、数寄屋橋のニュートウキョウにて、林野庁林産課課長補佐水越伸朔氏が、東京営林局企画調整室長にご栄転に伴う送別会を開くことになったとき、私の発案で感謝の会にすべきことを心よくご了承くだされた。

いつでも部下の意見を高処から判断し即決する姿勢はすばらし尊い力の具現と見ました。

この会の二次会は出席者(中川、平島、滝沢、堀内、征矢、鈴木、水越、の各氏と私)で席上中川さんは絶唱「マイウェイ」の中「私に愛する歌(木材にかえる)があるから信じたこの道をゆくだけすべては心のきめたままに」歌いあげたお声に、私ならずとも「ホンロッソレタヨヤマキ」の世界に生きるものの根性のあり方を見出しうるものです。

(五) 事務局長の堀内さんは誠実な方ですが、ある雑誌社の広告依頼を受けた時全国ログ(六) ハウスは協会設立の日も浅く、台所はきびしく貧乏協会なるが故に広告拒絶の理由(七) にしたことがあった、中川さん、たまたま上京し聞いて居り自分の所属する協会を(八) 「貧乏」なる言葉で挨拶することを叱正されたこと。

特に自分の協会に誇りと愛情(九) があればこの言葉は出ないと言われたこと言葉の選択の重要性を教えた姿は経営者(十) の物の見方に深い感動をおぼえました。

天に召された中川さん、今この追悼文を書くにあたりあなたの遺志を立派についでくださる高知の溝渕さんを会長代行に推挙し発展を期していますことを茲に報告いたします。

豪胆にして、せんさい、慈悲深い中川さんあなたから教えられた実践を私なりに「坦にして蕩々、とこしえに歳々ことなかれ」と解し、全国ログハウス発展に尽力いたしますので、見守ってください。

合掌