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地域に密着した木材団地の活性化を

高島屋製作所 部長 松尾正敏
私の出合は昭和五十七年十二月でした。

当社が、木材工場団地協同組合に加入致した時です。

或日会合があり参席致ました。

何分にもこの会合は初めてのことで始終沈黙でしたが、その内容には厳しいものがありました。

理事長は自分の構想の一環として大阪木材工場団地組合の今後あるべき将来展望について述べられました。

実に充実した内容でした。

(一)木材団地の将来への育成と活性化(二)木材流通の有り方(三)木材団地の緑化推進と環境整備促進等が、題されています。

その三つの課題を含め各理事の委員長制を実施し、実践遂行には実に情熱的でした。

又木材団地の活性化は、先ず地域住民に木材団地を知って貰う事が大切で、その手段として木材団地の催し木材団地を再認識して貰う事が第一歩、是非実現したいと理事長は常日頃申されていました。

或日私に昭和六十年秋にウッドフェアを実施したいので、是非企画して欲しいと要望がありました。

組合企業四十九社が理解をもって結束すれば何か夢が実現しそうな感覚になり実施のためのプラン創りを事務局と一緒に行い、出店企業より実行委員を設定し三回程委員会を行いました。

理事長は必ず出席され、委員の意見を良く聞入れ理解されていました。

何分にも組合の全企業が、出店出来る内容ではありません第一に運営費用出店企業の負担金等各企業の理解協力があればこそ実現出来たと言っても過言ではありません。

第一回ウッドフェアが二日間で幕を閉じ、夕方出店企業の方々と心ばかりの打上げの席で、二日間の売上と総入場者数を報告しますと理事長がヨカッタ、ヨカッタとハンカチフを取り出し眼鏡を外し、目頭を押えられているのが、とても印象的でした、きっと満足感に溢れた男のロマンではなかったでしょうか。

又六十三年には全国ウッディグランドフェア88、第一回の会場が、当木材団地に決定致しました。

その計画に関して、中央官庁、大阪府、関連財団等事前折衝に積極的に活動され開催まで余す処一ヶ月少々企画段階も大詰を過ぎた頃、突然の急逝にただただ衝撃で漠然状態でした。

木材資源を愛し木製品に愛着を懐くした理事長でした。

無情の念を抱きながら、今となりましては、ひたすらご冥福を心よりお祈り申し上げます。