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追想

社団法人清交社  高木正規
9.提供会社 | 樹には望みありTOPに戻る
ゆく雲流れる水、生者必滅会者定離とは云え余りにも突然でした九月七日吾々馬術関係者はソウルオリンピック選手壮行会でロイヤルホテルにて悲報に接し皆絶句したことでした。

つい一ヶ月前の八月七日服部クラブのクラブハウス竣工祝賀会にはお元気な姿で昔話に花を咲かせ珍らしくよく呑んでお別れしたばかりでした。

想えば中川さんとの出会いは四十年昔しの昭和二十四年のことでした。

英智と才能に恵まれ先見の明があった中川さんは焼土と化した大阪で戦後いち早く灰塵の中、大阪馬術研究会を主宰され現在の財団法人大阪乗馬協会に発展し関西馬術復興の基礎をつくってくれたのであります。

当時は皆若く三十才前後でローマオリンピック予選会に東京馬事公苑に吾々四、五人ご一緒で参加したり又神戸クラブとの定期戦には卆先して参加され夏は浜寺海岸で水馬を楽んだこと等々、今もなお私の脳裡に深く印象づけられて居ります。

大阪馬術研究会は馬場が堀江の西方に在った関係で練習の帰りにはよく南のバー街を呑み歩き最後には堀江新地にまで足をのばしたものです。

又堂ビルの清交社には中川さんのご紹介で入会しました中川さんを知っている限りの会員は集会のときなど何時も思い出話しに時を過して居る昨今です。

馬をこよなく愛され馬のコレクションは非常に多く特に張飛の騎馬象の木彫は逸品でご自慢のものでした私は趣味の方も又仕事の面でも一方ならぬ御世話になり万分之一のお返しも出来ずご他界された今返すがえすも心残りに想って居ります。

哀心より深く御冥福をお祈り申し上げます。