v2.3

お人柄を偲んで

神崎林業株式会社  取締役社長 山本啓二郎
9.提供会社 | 樹には望みありTOPに戻る
いつの日のことでしたか、車がバラバラになって、ご自身、体中包帯だらけになり乍ら、ものすごい生命力を発揮されて復帰を果された中川藤一さんが、「まさか」と思われた昨年九月、永のお別れになろうとは。

奥様をはじめご家族皆様をこよなく愛され、会社の発展に精魂をつくされ、そして木材業界の育成発展に貢献された偉大なる指導者を失ったことは、故人を取り巻く関係者の一人一人が悲しみて余り有ることでございます。

思えば中川さんは誠に友情に厚く、広いお付き合いの皆さん方からの人望を一身に集めておられたことは、まさに中川さんのお人柄の致すところでございました。

私は昭和二十六年に関西入りして以来、最初の巡り合わせはいつか定かではありませんが、十日会入会以前からお会いする機会を得てご指導を戴いておりました。

入会後は更に親しくお付き合い下さり、私の東京移転後も、少しでもお会いする機会を得たいと思い、中川さん上京の折には私の事務所を是非休憩所替りに使って下さるようお話をしていたところでした。

直接仕事の関係では、ソ連材丸太の輸入が初まって数年後の昭和四十三年、私共もそろそろソ連材の輸入を考えてた矢先に、元紙パルプ業界OBの方から一隻受入を懇願されまして、時期尚早ではありましたが、己むなく引受けた事がありました。

ソ連材のことでしたので内容も不鮮明で、入ったものは五千立方米のうち私共の希望するC材はほんのわずか、あとはエゾトド唐松の小径材ばかり、販売に困っておりましたところ、中川さんが杭材に受入して下さると云う事で、大変なバックアップをして下さり、お蔭で完売する事が出来ました。

困っていた私に協力してやろうと云う以外の何物でもありません。

中川さんのご親切は今も忘れることが出来ない思い出として残り、中川さんのお人柄を偲んでいる次第でございます。

中川さんは多くの業界若手の方々を育成され、会社もご子息様方々が不動の基盤を立派に継承され、何のお心残りもないと存じます。

この上は奥様はじめお家族の皆々様、呉々もご自愛下さいましていつまでもご健勝であらん事を祈り上げ、簡単ですが追悼のことばとさせて戴きます。