v2.3

忘れ得ぬ人

組合 山本郁生
9.提供会社 | 樹には望みありTOPに戻る
中川さんは、私達夫婦に「死ぬまでお付き合いする人達」と云って下さった。

死は時を選ばずして突然の中川さんの死は、私達夫婦にとって肉親を失ったほどの悲しみでした。

協同組合にとっても中川さんの死と共に昭和の終焉を迎えたと云えますしウッドリーム大阪の建設、続いてやすら木の建設は関西に於ける木材界の誇りであり、昭和の文化遺産たり得たと思います。

ウッドリーム大阪に於ての、第一回文化展開催に当って、「各部門に作品を出展してみたらよい」と、中川さんに云われ、私も第一回文化展を成功させる一助になりたいと、作品造りに取り組みました。

書の表装が大阪ではどこも間に合わず京都まで持って行って、昔馴染の店で無理矢理に頼み込んで間に合せたり、油絵も乾かす間のない状態で出品したり、写真は中川さんをモデルにしようと機会あるごとに撮り続けたり、色々今となって見れば懐かしい思い出の一つ一つです。

幸せにも各部門に入賞し、トリプルプレーで、トリプル賞を取ってくれたと中川さんに喜こんでもらえた事も、生涯の忘れられぬ思出です。

中川さんは歌の上手な人でした。

特にあのマイウェイは今も私の耳にのこっています。

いま船出が近ずくこの時に、ふとたたずみ私はふり返る、遠く旅して歩いた若い日よ、すべて心の決めたままに、愛と涙とほほ笑みにあふれ、今思えば楽しい想出を・・・・と、朗朗としてひびくあの美しい歌声が、いまも聞こえてきます。

人生は感謝する気持の時が、幸せを感じる時です。

私が中川さんを思い出す時色々と楽しい想出に満され、感謝の気持でいっぱいになるのです。

中川さん、貴方は私達夫婦に幸せを下さった人でした。

平成元年の始まった木材団地、貴方が愛した木材団地の日々を、一日の仕事を終えて、「死ぬまでお付き合いをする」と云って下さった中川さんに、私達夫婦が元気で組合にいるかぎり、毎日応接室の写真の貴方に、今日一日の出来ごとをお話してあげたいと思います。

どうか、やすらかにおねむり下さい。

御冥福を祈ります。