v2.8

神谷のインドネシア点描

ヌヌカンのロッグポンド

今でもサンダルを手にして丸太に乗っているお前の姿が瞼に浮かぶよ。
初めて会ったのはヌヌカンのロッグポンドだったけな…。
お前の兄貴が経営する原木伐採輸出会社、カルヤ・ヌヌカン社から丸太を買い付け、 検品にヌヌカンを訪れたとき案内してくれたのが無愛想なお前だった。
サンダルを履き、紺の上着を着て、髪を伸ばしチョビヒゲを蓄え・・・、 まるで中国チャンバラ映画に出てくる悪役のようだった。
何もないヌヌカン島で唯一の娯楽、映画館を経営していたのがお前だった。
兄貴の手伝いで丸太の検品立ち会いをしていた。
何もしゃべらずに、ただジーと俺の検品を見ていたっけな。
検品の時、浮き面が腐っている丸太を見つけた。
丸太の上をハツって腐れをお前に見せ、刎ねるように頼んだ。
お前は何の文句も言わず俺がX印を付けるのを黙ってみていたっけ。
明くる日、妙に丸太が綺麗なのを見て違和感を感じ、丸太を廻して底にマリンボーラ (貝虫)が入っているのを発見した。
お前に刎ねるよう言った。
お前は黙って俺がX印を付けるのを見ていたっけ。
更に明くる日、俺は丸太を見て笑った。
丸太の上に緑ゴケの線が着いていたっけ。
お前は俺がXを付けて帰ったあと、毎日一生懸命X丸太をひっくり返していたのだ。
初めは腐れ浮き面が水の下に隠れるよう半回転。
次は底のマリンボーラが見えぬよう90度廻し。
そして浮き面と底とを同時に隠そうとしたのだ。
その結果、水際に付着する水ゴケが水面に出てしまったのだ。
ご苦労なことだ。
俺は言った。
『アトン(Atong)、無駄だ。お前が何をやっても俺の目はごまかせねえ!』 お前も笑った。
『無駄骨だった。お前を騙すことは出来ねえ!』 ここで仲良くなったけな。
何となく気が通じた。
Mr. Anthoni Thio…通称Atong、 一つ年上の1952年生まれ。
ヌヌカン島に友達が出来た。
それからはヌヌカンに行くのが楽しみとなった。
お前の実家TOKO BARU(新しい店という意味)はヌヌカン島唯一のレストランを持ち、映画館を持ち、 雑貨屋を持ち、タワウとの通船を持ち、まるでお前の一族がいなければヌヌカン島の経済は成り立たない 程だった。
ヌヌカンのRAJA KECIL(小王)とも呼ばれていたっけ。
お前はそこの3男、映画館の店主として気楽に暮らしていた…(はずだった。
) 信義を持った男だったが故に日本のバイヤーが放っておかなかった。
兄貴に替って丸太の商売をお袋から任されて表舞台に踊り出てきたっけな。
それからが長い付き合いだった。
いつもサンダル履き。
たまにジャカルタへ出てくれば素足に革靴。
一度来日した折り、どんな格好で来るかと出迎えれば借り物のスーツに素足で革靴。
格好つけようなんて気は毛頭ないお前だった。
雨で検品が出来なかったとき、お前の部屋で二人、酒を飲みながら話したっけ。
中国人は信用を大事にすると聞いているが、お前は俺に対してどの程度の信用をくれるか? お前は答えた。
『無利子無担保で1億ルピア』 (当時俺の給料が10万円ぐらいの時に3000万円  を超える金額だった。
) お前はどんな人間になりたい? お前は言った。
『人に心を傷つけられるのは構わない、 俺が我慢すればいいんだから。
 でも俺は、人の心を傷つけたくはない』 お前は顔に似合わず善人だ。
涙が出るほどいい奴だ。
義兄弟になろう…と、約束したっけな。
それから組んで仕事を始めた。
お前の伐り出した丸太を俺が買い付け日本へ輸出した。
丸太が禁輸になればパロポやスラバヤに船で運んで製材して輸出した。
丸太の検品をすれば俺が言うとおりに刎ねてくれた。
2度とお前は俺を騙そうとはしなかった。
『Kamiyaの目はごまかせない』、と。
お前と会うのが楽しかった。
お前と呑むのが楽しかった。
俺が結婚し、タラカン島で女房に会わせた。
お前が結婚し、式に出て歌った。
そして一緒に会社を創った。
P.T. MASSIKI・KAYOLAH社 俺たちの夢だった。
原木伐採からスラバヤでの加工、そして日本での販売までが一貫体制。
丸太屋、製材屋、加工屋、集成屋、そして問屋…お互いがお互いを認め合い機能を補完し合う、 合体すればこんなに強いものはなし。
理想の具現化だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・ 夢破れて山河あり。
理想の一貫体制に齟齬が出た。
俺が責任担当する販売において…。
MASSIKI・KAYOLAH社は潰れ、工場は銀行の手に。
俺たちの手には負債の精算だけが残った。
お互いの出資金がパーとなり、更にはお前の手に精算出来ない丸太代金が残った。
お前が約束通り無利子無担保で丸太を提供してくれた結果だった。
俺は日本の会社を辞めた。
お前が大きな借財を抱えて懊悩しているのに俺がのうのうと日本で給料を貰えるか! でも、それは俺の自己満足だった。
俺が会社を辞めてもお前を救える訳がない。
俺の退職金でお前に丸太代を払える訳もない。
お前にとっては、俺に騙されたという事実だけが残った。
お前に謝りたかった。
喰わんがためにスラバヤでブローカーをしながらその機会を待った。
一度、林業公社のジャカルタ本社で偶然出会ったな。
『アトン、お前を騙すつもりで会社を創った訳じゃない。
 俺も食い扶持の保証をなくした。
 お前の苦しみの一端なりとも味わおう。
 これからの俺の生き様を見て、俺の言葉を信じてくれ』・・・・ お前は苦笑いをしたっけな。
許してくれたのか、はたまた許してくれなかったのか、苦笑いの意味はどちらだったのだろう…? 時間が解決してくれる。
必死に生きておればアトンも必ず解ってくれる。
それまでの勝負だ。
潰れずに感張ろう! そして逃げずにお前に会い続け、身の潔白を示そう。
お前に解って貰いたかった。
お前の誤解を解きたかった。
『Kamiya、分かった。許す』…と言って貰いたかった。
そのお前が逝ってしまった。
噂で聞いた。
お前が英国の病院で逝ったと… 癌で逝ったと… 幼い子と女房を残して逝ったと…。
これでお前の苦笑いの意味が永遠に分からなくなってしまった。
俺はこの重い心をこれから先ズーと背負い続けて生きてゆく。
MASSIKIの社名にお前の名前…『A(tong)』がある限り。
 岡崎にて
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