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神谷のインドネシア点描

『微笑返し』の巻き



インドネシアが好きです。インドネシア人が好きです。だから33年間もこの国に絡んで生きて来れました。どうして… 何が… 私を魅了するのでしょうか?

タラカンに赴任した1979年当時は暗いインドネシアでした。気分が暗いのではなく本当に暗かったのです。
タラカンでは週のうち半分は電気が来ませんでした。(今風に言えば計画停電です。)電気が来ない日はストロンケンという灯油ランプで明かりを採りました。圧搾空気で灯油を噴霧して灯る熱いランプでした。熱いランプを熱い室内に吊るすのです。電気がないのですから扇風機も廻りません。窓を開ければ蚊や虻や蛾が飛び込んできます。ストロンケンの熱気がこもった部屋で汗だくで寝るのです。

これは堪らぬとバーへ逃げても大差なし。ランプの灯りにボーッと浮かぶ乱れ髪、口は大きくめくれ上がり
鼻は据わっていてまるでお化けです。でも、これが唯一自分が知り合える女性達なのです。女性と言って良きものか?、

日本で知り合った細いうなじに白いうりざね顔が懐かしい、紅のカンバセが恋しい、何を好き好んであのうりざね顔を捨てて獅子頭と付き合わねばならないのか (…と思ってみてもあとの祭り)ここはお国を何百里、離れて遠きボルネオの、赤い夕日が目に沁みる、鳥も通わぬ、タラカン島なのです。

美人は三日見れば飽きる、シコメは三日見れば慣れる…。昔の人は良くぞ言ったものです。人間は環境に順応します。獅子頭がだんだん愛らしく見えてきました。鼻は上を向いているがその代り目が大きく吸い込まれる様に妖艶…、『大きくめくれ上がった口』…、ではなく、『情熱的な唇』、『HITAM MANIS…(黒くて可愛い)』、という言葉も覚えました。

住めば都、言葉を覚えるに従ってだんだんインドネシアの女の子が綺麗に見えて来るから不思議です。だからインドネシアが好きになりました、…という訳ではありません。インドネシア人の微笑みに惚れたのです。

見ず知らずの人間とでも、『目と目が合うとニコッと会釈をする』、あの微笑みに惚れたのです。女とは限りません。男でも同じです。ニコッは口の片端を少し上げてニッとする感じです。

彼等は言います。『どうして日本人は日本人と会っても挨拶をしないの?』インドネシアの地で同胞と出会っても知らぬ顔をします。たまにニコッとしても無視されて気分を害します。不思議です。インドネシア人にニコッとして無視された経験は殆ど有りません。必ずニコッと返って来ます。

最初はタイに惚れました。大学3年生のときにヒッピーとなって訪れたチェンマイの街角でとても素敵な女性を大勢見かけました。『コプンカ』と言いながら合掌をし腰を少し捻ってニコッとする、実に美しい挨拶に惚れました.。この挨拶をされると膝の力が抜けてしまいました。南方ではこんな素敵な女性を普通に見れるのか!

卒業後の進路が決まりました。『南方へ行こう!』『木材の開発輸入をしよう!』…単純です。
紆余曲折をコケの一念で乗り越え何とか憧れの南方へ来れました。それがインドネシア共和国東カリマンタン州タラカン島なのでした。

しかし、様子が違います。獅子頭です。どうして?
ふと思い出すと、あのタイでもバンコックは獅子頭でした。チェンマイはバンコックよりずっと北の地域でした。そうか、北方系美人はモンゴリアン(中国人)の血が混ざっているのだ!

タラカンで探しました。見つけました。ダヤック族です。日本人のように白く繊細な顔つきでした。
NOMIという名の娘が居ました。ナオミと呼べばまさに日本人です。首狩で有名なダヤック族の彼女が出来ました。

こんな駐在員生活の中で沢山の微笑を見ました。ナオミの微笑だけではありません。獅子頭の微笑みも、従業員の微笑みも、同じ柔らかさがありました。あの微笑に出会うと、ホノボノとして嬉しくなるのです。
何にも、無いのです。何にも無いのですが、微笑だけはあります。だからいつも嬉しくなれるのです。

幸せを測る尺度はありません。幸せは自己満足だと思ってます。
自分が嬉しければ幸せなのです。何はなくとも微笑があります。
微笑を見れば嬉しくなります。嬉しければ微笑みます。
微笑返しです。こちらが微笑むと相手も更に微笑みます。
お互いが嬉しくなるのです。微笑返しの連鎖です。

これが33年間のインドネシア人生を支えてくれていたのです。

きっかけは女性だったかもしれませんが、最後は微笑みだったのです。
『微笑みに囲まれて過ごす嬉しさ』、
これを幸せと心が認識し始めたのです。

幸せ…
金持ちになること、事業で成功すること、きれいな彼女を持つこと、博打で勝つこと、家を買うこと、ベンツに乗ること、人に勝つこと、その全てを得られませんでした。
でも、心が喜んでいるのです。お金は無くとも微笑があります。家は無くとも微笑があります。ベンツに乗らなくても微笑があります。
『Tuan Tuan(男性を呼ぶ尊称)』、 『Kamiya san !!!』 みんなが呼んでくれます。
みんなが微笑んでくれます。頼りにされる嬉しさ、好かれる喜びが微笑みに応えて沸いて来ます。毎日微笑みを返しながら生きる嬉しさ、貧しくとも、にこやかに生きる、インドネシア庶民の嬉しさです。
これがインドネシア生活33年間の原動力なのでした。

だから今日もガルーダ機中に身を置くのです。自己満足で日本の家族を犠牲にするわけには参りません。だから毎月ガルーダに乗るのです。毎月1万キロを往復するのです。ガルーダが微笑みの国と日本の家族を繋いでくれているのです。嬉しいお土産をガルーダ航空より貰えます。かつてチェンマイで見た合掌をしながら腰を捻るあの優雅な挨拶がガルーダ機内でも見れるのです。

インドネシアで教えられた幸せの見つけ方、それは『ニコッと微笑み返す』、実に簡単です。
でもその刹那、生きる実感が沸いて来るのです。他人がなし得ない事を自分だけは得ようとして頑張り、挫折し、心が折れてしまうより…、誰にでも出来ることに喜びを見出せば毎日が楽しいのです。
心が喜ぶのです。微笑んでもらうこと、そして、微笑を返すこと。誰にでも出来ますでしょう!

微笑みに始まり、微笑みに終わるインドネシア出張でした。

追伸)
最近のガルーダには、国営航空独特のお役人然とした無愛想な顔はもうありません。
・機内食も美味しくなりました。
・機内通関も復活しました。
・日本人スチュワーデスも復活しました。
・SQのように椅子の後ろにTVも付きました。
本当に良くなりました。そして、微笑みです。日本へ向かう疲れた体を癒してくれます。

そんなガルーダが3月末20日をもって名古屋路線から撤退しました。1979年よりガルーダ航空を使って日印を往復し続けて来た客として、長年の運行に御礼を申し上げます。
でも、…大変寂しいです。
        

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