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山を育て木の家をつくる

木の家づくりで林業・地場産業の復興を

緑の列島ネットワ-ク〟が「近くの山の木で家をつくる運動宣言」を発表


●地域と家族崩壊が国を滅ぼす21世紀を迎えた日本は今、20世紀的発展の結果としてもたらされた病的現象が、社会の至るところで噴出しています。
21世紀を迎えながら、明るい兆しは一向に見えて来ず、気持も社会も暗くなることばかりが伝わってきます。
そろそろ、不景気な話や事件、スキャンダルに飛びついてメシのタネにし、ウソの報道で世論を誘導するようなマスコミに鉄槌を加える必要があるようですが、それにしても近代社会という病根が生んだ病状は深刻です。
21世紀当初は、この末期的病状がすべて表出して来ますので、それを洗い流して新しい社会の価値観を打ち立てる大治療が必要になります。
政治も経済も行政も断末魔の状態で、あがけばあがくほど矛盾が拡大し、瓦解に近づくしかないようです。
競争と詰め込みと個人主義という近代思想による教育制度の抜本改革なしには、日本の未来を担う子供たちを育てることはできません。
このように、あらゆる事態が今日の混迷の日本をつくり出し、国家の崩壊へと結びついているのです。
国家を崩壊させるものは、もっと数多くあります。
その代表的なものが、地場産業の衰退と崩壊です。
大企業中心に産業がことごとく再編されたのは、資本の集中と集積のためであると同時に、民族性を衷失させるためでもありました。
民族性を衷失させる上で欠かせないのが、地域に根づき、国民生活の基盤になっている第1次産業にはじまる地場産業をつぶすことでした。
地方が衰退し、労働力も資本も大都市に集中させられ、国家統制、思想統制が強められると、高度成長の時代には繁栄の道をすすむことになりますが、経済成長が止まると急速に国家の力が衰えることになります。
まして、中央の権力構造が腐朽化し、墮落すると一気に国家の崩壊、社会の混乱がすすむのです。
バブル崩壊後の日本は、まさにその姿です。
直接、国民生活に関わり、国の活力の源である第1次産業・地場産業、そして伝統産業の盛衰は、そのまま国の姿に映し出されるのです。
ここから人間関係を考えると家の問題が出てきます。
本誌で、繰り返し強調しているように、家は、まず何よりも家族の「和」と「愛」を育み、人間らしさと人間関係の基本を学び、心と身体の健康を育てるところです。
ところが、地域破壊の結果、林業が破壊され、地場に根づいた家づくりが衰退させられ、本来の日本の木の家が激減し、ハウスメ-カ-による洋風住宅が圧倒的に多くなりました。
洋風住宅づくりの根底にあるのは近代西洋思想で、個人中心主義です。
家族の分断がすすみ、「和」が育てられず、家族の崩壊現象が様々な形で露呈し、大変な社会問題、家庭内犯罪を頻発させることになりました。
人間関係の最初のステ-ジであり、その最少単位である家族の崩壊は、そのまま国家の崩壊につながってきています。
家族の「和」を育てられず、対立を生むような家の多い国で、国の活力がつくられるはずもなく、国家の無規律、退廃から崩壊へとすすむのは必然なのです。
ここから考えても、地場産業を興こし、「和」と「愛」の育てられる木の家づくりを広げることは、日本の21世紀のための重要なテ-マとなってきます。
●それでも木材は高い? このテ-マに応える運動づくりがいよいよ重要な意味を持ってきます。
山を育て、地元の木を使い、木の家をつくるための運動です。
地域の材を使うということは直接、地域の林業・木材業・建築家・大工・工務店の活性化につながるという重要な意味を持っています。
特に、日本の林業を興こすということは、戦後の政治的・政策的ミスリ-ドにより、人工林化がすすめられ、林業の衰退へと誘導された歴史を新しくするという大きな意味を持っています。
人工林化出には、日本の自然が作り変えられたという問題と、人工林の保育への手間と経費がまわらず、育林が放棄された多くの人工林が死に山に近づいているという問題があります。
その上、維持している人工林でさえ、間伐等に手がまわりきらず、主伐であれ間伐であれ、出材するだけ赤字が増えるという現実があります。
近い将来に利益が見込めるのならともかく、どこの世界に赤字を増やすために仕事をする人がいるかということになるのです。
今の林業の多くは、まさしくこの状態なのですが、このことは、現在の木材の流通形態から見れば、そう簡単に解決できそうにもありません。
復興への道は、従来の流通にこだわらない新しい需要をつくるか、再植林までを計算に入れた材価にもどすしかありません。
いくつもの階段を経て流通した木材を使っている方からは、依然として「木は高い」と言われます。
この高いは、何を基準にして高いのかということもひとつの問題です。
大量に作られる工場生産の規格品や、原材料が極端に安い化学製品と比較して言われる場合もありますが、木材と他の製品を同じ土俵で見ることの誤りに早く気付いて下さい。

数10年間も人間が手塩にかけて、自然とともに育てた材料と、地下から掘り出してきた材料で、人工的に工場生産されたものとは、根本的に違います。
その上、天然の植物素材が住空間でもたらす効用は数限りなく無限であり、無機質材の有害性と同一レベルで考えられるものではないのです。
クイズではありませんが、この40~50年間、単価の変わっていないものをご存知ですか。
それは、木材とニワトリの卵です。
平均物価上昇率で300%を超えているにもかかわらずです。
市場での人工林材の原木価格は、厚木市場で立方m当たりスギで1万5000円前後、ヒノキで3万円台です。
これは、今も昔も1個10円程度の卵とほとんど同じで変わっていないのです。
農家が数ヵ月で出荷する大根でさえ、立方mで計算すると安くて10万円、高い時は20万円もすることを考えれば、いかに材価が安いかがわかります。
木材は、再生可能な資源であっても本当はもっと高くなければ、再生費用が出ず、再生不可能になるのです。
ここから言えることは、木材価格の適正化を求めつつ、先程の新しい需要づくり、地場での需要づくりが必要になって来ます。
生活者にも直接木に触れ合ってもらい、施主と建築関係者が求める材料を提供できるようになれば多くの問題を解決できることになります。
それと同時に、その地の木は、その地の気候風土によって育てられたのですから、もっともその地に馴染み、気候の変化にも耐えられ、その地の人との相性も良い材と言えます。
この点では、産地と消費地の関係をはじめ、すべてを地元の材でまかなうということができない問題も多々あります。
日本という国を考えれば、大きな意味では国産材を考えても良いのですが、流通コスト等を考えれば、なるべく地元、なるべく近くと考えることが適正であろうと思います。
●近くの山の木で家をつくる運動ここで、「木のこころ」と同様のスタンスをとり、「近くの山の木で家をつくる運動」を広げようとしている「緑の列島ネットワ-ク」を紹介します。
この運動のはじまりは、建築家、木構造研究者、林業・木材業をはじめとし、木と木の家づくりに関わりながら、山のことや木造住宅づくりの現状に、憂いや憤り、怒りを感じている人達十数名が、一昨年秋に集い、語り合ったことに始まっています。
日本の山を育て、木造住宅づくりの輪を広げるために、全国各地で生まれている、地元の木で家をつくろうという動きと合流し、それを全国レベルでひとつの大きな運動にしようということが主旨にまっています。
まず「近くの山の木で家をつくる協議会」がつくられました。
そこでの学習と話し合いを重ね、協議会を組織として立ち上げようと、昨年5月に「緑の列島ネットワ-ク」として正式に発足しています。
この名称は、山と木の家だけではなく、環境運動とも深く関わるとの考えからつけられたもので、任意団体でスタ-トしながら、法人格の必要性が考えられ、昨年九月に特定非営利活動法人(NPO)「緑の列島ネットワ-ク」として本格的な活動を始めたものです。
そして、昨年暮、別掲の「近くの山の木で家をつくる運動宣言」を発し、全国的な運動展開を呼びかけています。

このネットワ-クの活動は、それぞれの地域での〝地元材で家をつくる活動〟を支援し、育て、情報交換やセミナ-等への支援をすることを通して、運動の輪を広げることを当面の主任務としています。
こうした運動の広がりを期待しながら、緑の列島ネットワ-クが発表した「近くの山の木で家をつくる運動宣言」の全文を次頁に紹介します。
近くの山の木で家をつくる運動宣言最北端の宗谷岬から南の八重山諸島まで、延々3000キロにわたって弓状に連なる日本列島は、その国土の3分の2が、森林によって覆われています。
海岸線の町、盆地の町、どの町を流れる川も遡ってゆけば、緑の山々にたどりつきます。
山は川の源です。
海は川の到達点です。
この山と川と海が織りなす自然こそ、私たちの生命の在りかであり、暮らしの基盤といえましょう。
いま、この緑の列島に異変が起きています。
破壊的ともいえる、山の荒廃です。
何が起きているのか?現実に立ってみることにします。
つい最近、※スギ山元立木価格が1960年(40年前)の価格程度に戻ったというニュ-スがありました。
40年前といえば、あんぱん一個の値段は10円、映画館の入場料は115円でした。
物価も収入も上昇したというのに、スギの値段だけは、四十年前の水準に戻ってしまいました。
木が育つには、何10年も、何代にもわたる人の手がかかっています。
ことに人工林は、雑草木を刈り、つるを切り、枝を打ち、間伐を行う、といった細かな作業を必要としており、これを怠ると、木の成長が抑えられるというだけでなく、環境に大きな影響をもたらします。
町がスギ花粉に見舞われるのも、鉄砲水が続出するのも、山に手入れが行き届かないから、といわれています。
古くから、治山は治水、といわれてきました。
豊かな平野は、後背の山あってのことです。
川や海の魚がおいしいのは、山が豊かなればこそです。
木は再生可能な資源であり、地球温暖化防止に重要なCO2吸収の主役でもあります。
それなのに、山の暮らしは成り立たず、山から人の姿が消えかかっているのです。
私たちの先祖は、ごく自然に木という素材を選び、鋸、鉋、鑿などの道具を用いて家を建ててきました。
そこには人がいました。
山を守り、木を育てる人。
木を伐り、製材し、運ぶ人。
材を加工し、家を組立てる人。
いま、山から人は失われ、職人の腕は低下したと嘆かれ、柱のキズで背比べする姿は消えたかにみえます。
山の荒廃をストップさせ、木の文化を蘇らせるには、何を、どうしたらいいのでしょうか?まず我々は、連鎖する自然と地域の営みの中に生きて在ることを知りたい。
次に我々は、近くの山の木で家をつくる、という考え方を取り戻したい。
山と町、川上と川下、生産者と消費者が面と向き合って話し込めば、お互いの置かれた現実がよくみえてきます。
山に足を運び。
荒れた山の現場に立ち、手入れの行き届いた山をみれば、みずみずしい緑を、協働のちからで取り戻そう、という気持ちが湧いてきます。
悩ましいお金の問題も、寄り合って吟味を重ねると、建築費の中で木材が占める割合が、思われているほど高いものではなく、決して高領の花でないことも分かってきます。
木は乾燥が大事なこと、土や紙や竹などの自然素材も地域に身近にあることを知ったり、木は建築後も生きて呼吸していることや、木の家は補修すれば寿命が長くなることなど、大切なことがいろいろとみえてきます。
これらの価値を、皆で結び合い共有すること、それが、近くの山の木で家をつくる運動の原動力です。
山元木価格とは、家を建てるに際して手にする価格から、伐採や搬出、乾燥や製材、運搬などの経費を差し引いた額のことをいいます。
昨年のスギの価格は、1立方mあたり7794円でした。
数字は、(財)日本不動産研究所「山林素地及び山元立木価格調(平成12年3月末現在)」によります。
価格は北海道と沖縄を除く全国平均。

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