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住みがいのある家づくり  

生きがい


ある時、「生きがい」を考えている時に、ひとつの疑問が頭をよぎりました。それは「住 みがい」という言葉でした。 ついぞ聞いたことも、話したこともない言葉でしたが、頭から離れず、考えることを急か されている感じを持っていました。 ようやく本号で取り上げることにし、こ特集Ⅰで考えてみました。 「住みがい」のある家について書くことはそれほど難問とは思わなかったのですが、考え るにつけ出てきたのは、なぜ「住みがい」という言葉が一般的に使われないのかという疑問 でした。けっして用語として不自然なはずではないのにほとんど使われることがなかったこ とが不思議です。  その理由は、戦後の住まいは、「住みがい」を語れるようなものでは なかったということと、論じさせないような意志が働いていたということにあることが見え てきました。 書いているうちに、洋風住宅論にも触れざるを得ない面があったのですが、その詳論は、 もともと次号で考察する予定でしたので、必要な範囲に止どめます。それでも健康を育てる 家という視点に触れると、健康問題とまやかしの「健康住宅」については論及せざるを得な くなりました。
  書き終えて感じたことは、もっともっと「住みがい」を語らなければならないし、言葉 (用語)としても認知させるまでにしなくてはいけないということでした。「健康住宅」が 市民権を得たかのように大手を振って歩いている現状を考えれば、なおさらその感を強くし ています。 それにしても、戦後の日本の姿はあらゆる面でまったく異常で、異常すぎると異常さを感 じなくなるようです。 しかし、異常さが高じ、その弊害と矛盾が拡大すると、異常さの実態が少しづつ見えてく るようになります。異常さの実態が見えてくるにつれ、それを正そうとする意識と動きがす すみますが、いまその時が来たのです。
  21世紀をシンボライズするような変化や出来事がいたるところで生まれています。 本誌では、それらについて部分的に紹介してきましたし、機会を見て本格的に取り上げる予 定ですが、住まいについても変化が出はじめています。 人々の意識の中で大きくなりはじめ ている木と木の家への希求がそれです。まだ洋風住宅が人々の木の家への変化を押し止どめ ようと鎮座していますし、ハウスメーカーも必死になっています。それでもめざめだした日 本人のDNAを閉じ込めることは出来ないでしょう。 大変皮肉なことですが、明治・大正の状態がそのまま続けば、まだまだ洋風への憧れが強 かったのでしょうが、戦後のめざましい発展と異常な状態があったからこそ、21世紀に照準 を合わせるように変化が始まったと言ってよいようです。 ゆるやかな変化は長く続きますが、矛盾を大きくした急速な変化は、それ自身の矛盾を包 み切れずに崩壊を早くします。 異常さを乗り超えて見えてきたものこそが日本らしさであり、古代から続く日本のこころ だと言いきれる時代に入ってきたと考えるべきではないでしょうか。

住みがい

住みがいとは何か 住みがいのある家とは
●「住みがい」を語る時が来た 辞書を引いても「住みがい」という言葉は見当たりませんので、用語として認められるの かどうかはわかりません。しかし、「生きがい」「やりがい」など、その行為の結果として のききめや、する値打ちを「がい」と言うのですから、「住みがい」も使われていい言葉と 考えます。 「生きがい」は、生きるはりあい、生きていてよかったと思えるようなことを言いますか ら、さしずめ「住みがい」は、住むはりあい、住んでいてよかったと思えるようなことを言 うことになるのではないでしょうか。 「住みがい」を形づくるもののひとつには住まい方に対する考え方がありますが、何にも増 して大きいのは住む家がどんな家かにあると言えます。 ですから「住みがい」は、住みがいのある家からしか生まれないのです。 そこで、浮かんでくるままに住みがいのある家とはどんな家なのかを列記してみます。 〇住むほどに住み良く、愛着の強まる家 〇年を経るほどに趣きを増し、光沢や味わいが出て、強度も高まり、価値の高まる家 ○子に孫に受け継がれ、子や孫が思い出を語り、歴史を誇れるような家 ○四季の移ろいを取り入れながら設えで対処できる家 〇自由な間取りで、家族が何となく気楽に暮らせる家 〇心身の疲れを癒してくれ、英気と活力を養い、健康を育ててくれる家 〇一日の始まりに活力を与え、一日の終わりをつつみ込み、明日につなげてくれる家 〇住むことで心が和み、家族の絆を強め、愛を育ててくれる家 〇さり気なく誇り、人を招きたくなる家 〇耳障り、目障りを感じず、室内の空気と同化でき、安らげる家 ということになると思います。 もう少し平たい言い方をすると、何らの違和感や抵抗感がなく溶け込んで、伸び伸びと手 足を伸ばして寛げ、語り合える家ということになるのでしょうか。 「生きがい」というのは、生き方そのものであり、生き様との関係ですから、人生の目的 や目標を持って、そこに向かって生きる姿の中から出てくるもので、生き生きとした自分を 意識することができます。 これに対して「住みがい」というのは、必ずしも自分の主動的な働きかけを伴うものでは ありませんから、それほど自覚できるものではないでしょう。日々「住みがい」を実感でき るということであれば素晴しいことですが、むしろ、無意識の内に感じていて、折に触れて 確認することの方が多いかもしれません。 それだけに、日常的に「生きがい」はいろいろ語られても、「住みがい」が語られること がないと言えます。 また、「住みがい」が語られないのは、無意識性よりもむしろ、このことは意識の外へ押 し出されていて、語られることがないようにされていたからと考えられます
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