v2.8

木のこころTOPに戻る

誰のため 誰が家をつくるか

 

●住む人が主人公の家が文化を生む  住む人が主人公であるためにはどうするかが問題になってきます。 その前提として考えるべきことは、どんな家をつくるか、どんな家づくりが住む人を主 人公にできるのかについてです。住む人の要望に添ってつくることが基本でしょうが、ど んな家であっても住む人の勝手だけでは、主人公とはなり得ないこともあることを考えな ければなりません。 本人が意識しなくても、家そのものによって支配されて主人公になれないものがありま す。それはどんな家かと言うと、心を育てられない家、健康を育てられない家、文化を生 めない家です。 結論から言えば、たとえ住む人の要望であっても、器としての建築物、高気密・高断熱 高機能の洋風住宅では、住む人が主人公にはなり得ないのです。 つまり、無機質材でつくられた呼吸しない家であり、建てた時が最高で、年々劣化する 家は、決して住む人を育てること(成長)に役立つ家ではないからです。  
「戦後の住宅は、何らの文化も生まなかった」と言うのは、成長しない家だからではな かったからでしょうか。 このような家では、形式的には住む人が主人公ですが、実際にはメーカーと家が主人公 で、住人を支配することになります。つまり、家づくりに流れる西洋思想と資本の利益の ためにつくられた材料に囲まれているからであり、家という器を通して近代に支配される ことになるからです。 近代は、人間の尊厳を大切にし、民族、人間を主人公にすることはなかったということ については、これまでも指摘してきました。 人間が人間らしくあり、健康を育て、文化を生む家とは、自ずから明らかで、日本の文 化と伝統を受け継いできた木の家しかありません。 大地に根づき、自然の素材を使い、自然と共生する家で、住む人とともに成長するのが 木の家の真髄で、それが、「住みがい」のある家であることは、すでに見てきた通りです
●地場の木の家は高くない
  このように本質に迫って考えると、家づくりはいよいよ地域ごとの仕事・地場産業だと いうことが見えてきます。 その地の気候風土や季節の変化を織り込んだ地場の木の性質などの素材を知り、地域の 気候を知った人(大工等)が、その地の材でその地に合った家の向きや設えでつくるのが ベストということになります。 そこで出てくるもうひとつが、「木材は高い、木の家づくりは高くつく」「大工さんが いない」という問題です。 詳論は別に譲りますが、材価が高いように見えるのは、現在の資本主義流の仕組みにあ るからです。 木材の価格はまったく高くなく、生産者の生活を保証しない安値ですが、手に入る段階 では高いように見えるのかもしれません。 木材は、数十年、百数十年かけて育てられる材料で、他と比較できない数々の特性があ り、工業化された規格製品と比較すべき材料ではないことも考えなければなりません。
   現実に、木材の生産現場では、生産コストさえ確保できずにいます。山元では出材して も伐採・搬出費用さえ出ず、生産意欲は著しく減退していますし、急を要する間伐もでき ないところが多く、山の荒廃が進行しています。
  製材業も、他の工業製品との価格競争の上に、不況下での低価を押しつけられ、乾燥も 思うにまかせられない状況になっています。 現状の木材業が、大手メーカー仕向けで流通に依存してきたことが大きな問題ですが、 それを割引いても、木材の価格は安すぎるくらいです。 木の家も、メーカー住宅と価格的には大差がなく、その上、質的には、はるかに優れた 長寿住宅をつくれるのですから、単なる価格論争で木と木の家を語るべきではないのです  それに、これから木の家づくりが広がり、国産材をどんどん使うようになれば、事情も 大きく変わってくるでしょう。 木の家は決して高くないことを関係者はもっともっとアピールすべきでしょう。 大工さんの数も減っています。世間は、「腕の良い大工はもういない」とも言います。 ここでも見方を変える必要があります。 「木のこころ」を続けていると、各地には素晴しい大工さんがまだまだいっぱいいるこ とが見えています。また、木の家づくりの広がりの中で、大工さん自身が元気を取りもど し、木に取り組みながらメキメキ成長している姿もあります。2年前の子供の将来の夢を 問うたあるアンケートでは、大工さん志望が第一位を占めていました。 木の家づくりを広げる可能性は無限にあります。現代社会は、その可能性の芽まで摘み 取ろうとしています。大切なことは、可能性を育て、押し広げ、どんどん実現させていく ことです。 それを、木の家づくりに携わるすべての人が、生活者を巻き込んでうねりにするべき時 代が来たと言えるでしょう。 誰もがわかっているはずの、まったく愚かとも言える設問をして、稿を起こすことにな りました。
  しかし、「主を忘れた20世紀の家づくり」を書きながら、改めて戦後という時代の恐ろ しさを感じています。 「ウソも百四言えば真実になる」と言ったのはヒトラーだそうですが、洗脳されれば、 誤りを誤りとして見れなくなり、正しいものを平気で否定したり、見捨てたりするように なってしまう。そんな20世紀と戦後の歩みでした。 日本の家づくりは、第17号でも見たように何千年、何万年と続いてきました。それは一 貫して自然と共生した木の家でした。そんな家がもっとも日本の気候風土に適し、住む人 の健康と喜びをもたらすものであり、百年、数百年もの時代とともに生き続ける家でした  私たちのはるか祖先は、宇宙のこころと一体化したこころを持ち、木と土によって生か されることを知っていたからこそ、木と土を材料とした家をつくっていたのです。
  それがもっとも合法則的で、日本らしいものであったから、宇宙のこころと一体となれ ない弥生時代以降も木を中心にした自然の素材での家づくりを続けてきたのです。 その家は、文字通り住む人のためのもので、周りのみんなが力を合わせてつくるのが自 然な姿でした。 時代の変化とともに型は変ってはきても、この思想は無条件に人々の中に生きていまし た。 明治の文明開化とともに欧米文化が礼讃されましたが、問題にすべきはやはり戦後です  日本人の衣をまといながら、異文化の支配が衣食住からすべての分野に及んできたとき に、何の抵抗もなくそれを受け入れたのです。 元来が温和で、疑うよりも信ずることの方が強く、同化しやすい日本人は、戦後のあら ゆる変化を、新しい支配者の企みと考えることなく受け入れたと言えます。そして、思想 も思考回路も塗り変えられ、洋風を讃美してきたのです。 ところが、敗戦からの復興という旗印にはじまって、必死に高度成長に向けて働かされ ている内に、欧米とは違った日本の洋風や資本主義の姿をつくってしまったのです。
  例えば日本では巨大なハウスメーカーが育てられましたが、欧米諸国には、国中を股に かけ、住宅を年間数千、数万棟と売りまくるような国はないのです。建て売りの同じ家が 並ぶ住宅団地も特異な光景です。 こんな異様な状態にも疑問を持たないくらいの感覚にされたのですから、家は商品、家 は買って消費するもの、家づくりの主役はハウスメーカーということにも疑問が生まれな くなっているのです。 しかし、もう21世紀です。いつまでも20世紀の呪縛にとらわれるのではなく、本筋に返 って、家の主は誰か、誰のための家づくりかを考えたいのがこ特集です.
.