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木の家をつくる建築家のここ  

街なかに3階建ての木の家をつくる

い建築家の情熱がこころをひとつに結ぶ

京都市 川畑昌弘設計工房 川畑 昌弘

   

●木を知り、木造に初挑戦独立して3年。
鉄骨造やRC造しかやってこなかった若い建築家が初めて木の家づくりに挑戦し、1年以上の悪戦苦闘で、木造3階建てを大阪市港区の弁天町駅近くという街のなかに建ち上げた。
完成を間近かにした8月18日の見学会には、多くの建築家たちに混ざり、近所の人や通りがかりの人も足を踏み入れ、街なかでの木造住宅の挑戦に強い関心と驚嘆が寄せられていた。

    次々と見学に訪れる人から発せられる構造や間取り、木の使い方や材種などの質問に気さくに答えているのが、この家を設計をし、すべてを監理した建築家の川畑昌弘さん(川畑昌弘設計工房)である。

   川畑さんとの話に一緒に入ってくれたのが構造設計を担当したお馴染みの田原賢さん(田原建築設計事務所・木構造住宅研究所)で途中から川畑さんをサポートした薬師川尚弘さん(薬師川建築設計室)も加わってくれた。
川畑さんとは、この時が初対面だったが、きっかけを作ってくれたのは、田原さんだった。
「弁天町のド真中で杉材を使って木造住宅に挑戦している若い建築家がいる。
ぜひ取材してほしい」との田原さんからの話があって会うことになったもの。

●棟上げを解体し、大工を育てる木造を経験したことも、木材の知識もない建築家が、よりによって周りに木造住宅のない街なかになぜ?という疑問が出てくるし、大丈夫なの?という心配ごころも顔をのぞかせる。
川畑さんが、木という素材について最初に知ったのが、昨年のモクスクールで、田原さんの講義で木を学び、やってみようと意欲を持ったことに始まっている。
そんな折、以前、弁天町で鉄骨の住宅を建てた関係で、今度は店舗兼住宅の建築が要請されたことから、木造に挑戦しようという想いを現実のものへとすすめることになった。
木についての勉強をする中で、日本の林業のことも知るようになり、日本の木を使ってたくさん家をつくれば、日本の山を蘇えらすことにもつながることもわかり、杉を主にした国産材で、街なかに木造の家をつくる構想が具体化した。
      施主も、この川畑さんの提案する木造3階建てに同意してくれたことで設計が始まり、構造設計     については、モクスクールで知り合った田原さんに依頼して設計図が完成した。
木造建築のデザインから入った設計で、大工に学びながら木を使おうと考えていたというが、実際に来た大工は、木材の見極めもできず、真壁のスミ付け仕口加工も満足にできないので驚いたという。
真壁と言っているのに大壁工法で木を刻み、床柱に用意した材を土台に使おうとするなど、どうにもならずに変えてもらったが、次に来てもらった大工も似たり寄ったりだった。
結局4人も大工を変えることになったという。
  

  工務店は、木造を手がけている工務店だったが、構造設計については未経験で、田原さんと一緒に教えながらの工事が続いた。
川畑さんにとっては、大工が木造軸組みを出来ない、工務店が木構造を知らないということは驚きと失望のダブルパンチで、事態は深刻だった。
以前の古い家は、昨年の盆に解体し、昨年中に完成させる予定だったのが、木を知らない大工だった上に、上棟してみたら、指示とは違ったものだったため、解体し、改めて材料の手当をして、上棟2回という前代未聞の仕事をやってきた。
上棟までした躯体を解体し、納期に間に合わない状態を見て、「もうダメだろう」と思ったという田原さんが、「ここが川畑さんのすごいところで、並みの若者ではできないような苦労をしてここまで来た若い建築家を高く評価したい。
こんな建築家が、これからの建築界の中心に育って行くようにしなければ」と熱っぽく語ってくれた。
川畑さんは、それまで以上に猛然と木の勉強をし、材の供給を依頼した徳島のTSウッドハウスへ何十回と足を運んで、木頭杉を勉強し、1本1本、1枚1枚の材を選別したり、養生させている木置場へ通って刻みを直接行ったりしたことを教えてくれた。
すべてを自分が指示し、大工や工務店と毎日話をしながら、育てようという気概を持ったところに川畑さんの真骨頂が表われている。
徹底した監理までを自分で受け持ち、何日も何日も泊り込んで、本物の木造を自分でつくろうとする姿があった。
初の木造への挑戦とは思えないくらい木にこだわり、細かいところまでひとつひとつ大工に指示し、育てようとする情熱は並大抵のものではなかったという。
木という材料は、1本ごとに違うし、現場によっても違う。
職人の我流を正し、木の性能を出すように教え、機能性だけでなく木を生かす建築を仕上げるというのは、口で言うほど簡単なことではない。
現場で1年強、とことん木と取っ組み、「木を使うこころを知った」と川畑さんは言う。
「どんなハードルをも乗り超え、木の良さを引き出すには、しっかり監理することだと思う」という川畑さんだから、それを出来るように山を見、木を見、人を見てきたようだ。
そういうところから長尺の梁へのこだわりを持ち、選定した材を生かすように1本1本、1枚1枚ごとに使う場所も指定した。
若い建築家は、良い大工や工務店を知らないだけに、川畑さんに学んでほしいと田原さんがしみじみと言う。
棟上げを2回もし、技能のない大工を教育し、親方の仕事まですべてやりとげた川畑さんに「職能を見た」というのも田原さんである。
施工を請負った小管工務店の方も大変で、経費計算はとっくに度外視しているというので、現場を担当する小管正美専務にも話を聞く。
「最初は簡単に考え、難しいかもしれないが面白いかもしれないと思って引き受けたが、思った以上に難しかったし大変だった」という言葉から始まった。
手馴れている木造は、構造図面のないのが普通で、図面に合わすということは、ひとつひとつが新しい経験だったようで、「構造から意匠につながることを勉強でき、苦労しながら楽しんだ」と笑っている。
しかし、1年以上も現場を続け、2度も上棟し、大赤字なのにどうして続けたのかと聞きたくなる「川畑さんの話を聞いて伝わってくるものがあった。
木への想いを何とか形にしようと思った」というのも男意気だし、木が結ぶ力とも言えるようだ。
設計図だけでの仕事ならいくらでも経験しているが、構造設計と意匠は初めてだし、構造設計士と直に話すのも初めてだったので、真剣勝負だった。
お蔭で良い勉強ができたからと、経費のことは考えないことにしていると笑顔で言われると熱いものが伝わってくる。
「施主も施工業者も設計も、みんな木のこころでつながっているから出来た家」「建てがいがあり、施主も待ちがいがあり、住みがいのある家になった」と田原さんがまとめてくれた。

      

川畑さんの情熱で、続行不能と思わせる困難からも逃げず、投げ出さないで、良い方向へ向かおうと、みんなのこころがひとつになってつくりあげられた木の家である。
完成を間近かにした夜間工事が続けられていると、ライトに浮かびあがる木の家が、通る人の目を引く。
母親に手を引かれた子供がこの家を見上げ、「ワーッ!木のおうちだ!」と歓声をあげてくれるのを聞いて、たまらなく嬉しかったという川畑さんは、それだけでも街なかに建てた甲斐があったと語ってくれた。
●風と光が通る街なかの木の家3階建てのこの家は、1階が店舗用のテナントで、ラーメン構造の鉄骨造になっている。
横手の階段を上がって2階のガラス格子の玄関戸をあけると三和土に続いてダイニングがありカウンターの向こうにキッチンが見える。
便所、風呂などの水まわりは、その周辺に集約されている。
見上げるとダイニングの上は吹き抜けで、3階の窓からいっぱいの光が入ってくる。
そこには水平構面の剛性を確保しながら風と光を通す水平面格子が設けられている。
面格子は垂直構面にも見られ、いかにも和を演出しながら強度を保つ生かし方で、なつかしさを感じさせてくれる。

   

 

   

  床は、ダイニングだけ床暖房を採用したからということで、カラマツのムク板を使っているが、その節がまた木の味わいを出している。
壁面は一部を杉の縦板貼りにしているが、漆喰壁が杉の柱をひきたてている。
現しの梁も杉材で、徳島の木頭杉が主に使われている。
ダイニングから6帖の居間につながっていて、小さな床の間も設けられている。
杉板の廊下の向かいの8帖間は子供室であろうか。
階段を上がると3階に廊下で結ばれた2室と納戸がある。
梁間4間、桁行き7間は、それほど広くないが、空間を取り、廊下を持たせたことで、予想以上にゆったりとした感じがあり、風の流れも気持ちが良いつくりである。
2階のテラスバルコニーと3階の2ヶ所のバルコニーも外との連続性をつくっており、自然との一体感を演出している。
2階、3階は木をふんだんに使った在来軸組工法をとっているが、ことさら木造と意識させることもなく、街なかの木の家としての強さと美しさ、住み心地の良さを感じさせる住みがいのある家である。
●木の家づくりの広がりを願い見学者たちも「座って本でも読んでいたいな」「風が通って気持ちいいな」と街なかの木の家の良さを実感してくれている。
完成した家で改めて川畑さんに感想を聞くと、室内を見渡して、初挑戦の木の家の出来上がり具合を確めながら、「出来上がってみて感動しています」と一言。   

  自己採点を求めると、「やろうと思ったことの半分くらいしか出来ていないけど、『この場所に木でこんなものが出来るんだなあ』と言われて、つくった意味から考えれば100点です。
監理までやろうとしたことの成果から見れば50点くらいです」とのこと。
そして、弁天町の街なかに木造を建てたことについて、山や木のことに興味のない人にも、こんな所で木を使って家をつくれることをわかってもらえれば、やった甲斐があると川畑さんは考えている。
それは、川畑さん自身が、山のことも木のことも知らなかったし、考えていなかったのに、モクスクールというキッカケがあったから、木に関心を持って勉強し、その中で、日本の山がこのままではどうしようもなくなることを知ったからであった。
それが、建築家としての魂に火をつけ、木の家づくりへと向かわせた。
誰でも、何かのキッカケがあれば、触発され、新しい行動へとすすむ可能性があると信じているし、日本人であるならば、必ず眠っている木の文化の遺伝子をめざめさせることができると考えているからのようである。
  

  今の20代、30代の人が、山の実態を知らなくても、使ってもらうことができれば、山を生かすことになるとの信念が、川畑さんに木の家を街なかにつくらせたと言えよう。
家づくりの要請があった場所が弁天町だったということも幸いした。
施主が、川畑さんの心意気を良しとして受け入れてくれたのも幸いであった。
「大変だったから勉強ができた。
木の個性はいろいろあることもわかった。
木は難しいけれども面白い」との実感が伝わってくる。
1年以上のロングランで、施主も辛抱強く待ってくれた。
いくつもいくつものトラブルや困難を乗り超えて街なかの木の家が完成した。
若い建築家が、情熱を燃やした家づくりだったからこそ、みんなの心がひとつになれた。
1人の建築家のこころが、工務店に本当の木の家づくりへの情熱を育て、大工を育て、施主をも巻き込み、多くの協力者をつくり、都会の街なかに大きな明かりを灯もしたようである。

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