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第5章広葉樹像の系譜と大陸との交流

6.釈迦像の秘密

釈迦像の各部分を調べていたところ、本体は桜桃であるが、台座のうち下部の返花の部分だけが桜桃で、蓮実は日本産のサクラ、葺軸と蓮弁はヒノキ、光背は日本産のサクラであることがわかった。つまり一つの仏像に三種の木が使われていたということである。
 それをどのように解釈したらよいのであろうか。葺軸と蓮弁には快慶の銘があるので、これは鎌倉時代の修理であることが明らかである。鎌倉時代以降は、本体にどんな木が使われていてもそれに頓着なく、修理にはヒノキを使うことはごく一般的なやり方だから、これはそのように解釈して差し支えない。ところで台座の蓮弁と光背は、様式的にみて製作年代はあまり開きがないとのことである。もしそうだとすれば、私は次のような推論が成り立つように思う。
 はじめにこの像が中国で模刻されたときは、最下部の返花の上に直接本尊がのった台が一段のものであった。日本に来て後にそれに尊厳さを加えるため、台座を二段にし、光背をつけたのである。そのことは奝念が愛宕山の上に清涼寺を建立する計画を断念し、現在の清涼寺の境内にあった棲霞寺を借りて、釈迦像を安置するの止むを得なきに至った当時の事情などを考えると、ありそうなことのように思える。そのとき追加部分には日本産のサクラを使った。それが桜桃に一番よく似ていたからである。
 もしこの推定のようであれば、台座を追加した人は、本尊は赤栴檀ではないが、それによく似た中国産の桜桃であったこと、および日本のサクラがそれに最も近似していることを知っていたはずである。それは奝念の生存中だったかも知れないし、あるいはそのしばらく後であったかも知れないが、少なくともそれは鎌倉以前であり、赤栴檀という伝説が生まれる前であったことは確かであろう。その後鎌倉時代になって葺軸の部分が傷んだので、快慶が修理してヒノキに変わったのである。
 前述したように、兜跋毘沙門天も桜桃であったから、これらの像が中国から請来されて日本のサクラ系の源流になったのではないだろうか。そして、サクラ→カエデ→カツラ、というように発展していったと考えるほうが筋が通るように、私は思うのである。
 この像が渡来してから、いわゆる清涼寺式と呼ばれる釈迦像の形式が流行した。その作例は鎌倉時代以降に多く、全国で五十数体にも及ぶとのことであるが、それらはいずれもヒノキで彫られている。そのことは平安中期以降は彫刻の用材はほとんどヒノキに限られるようになったことを考えれば当然といってよい。だがここで触れておきたいのは用材とその彫り方についてである。
 清涼寺釈迦像の造形上の特徴は、多数の衣のヒダが像の正面に横方向に走っているので木口の削り面が非常に多くあらわれていることである。サクラ材は硬くて緻密なため、木口面が奇麗に仕上がるからこの彫り方でも不都合はない。ヒダの断面はゆるい波形の凹凸のくり返しで、ちょうど屋根に使う波形トタン板のような形状になっている。これは材質と刃物との関係から出てくる自然な表現である。ところが鎌倉以降に彫られた釈迦像をみると、波の断面は鋭くとがって来て、飜波式に近い形状になってきている。それは用材がヒノキに変わったためであるが、そうした事情は次の話をするともうひとつわかりやすい。
 たとえば和室に置くシタンやコクタンのような唐木製の座卓や飾り棚をみると、それに施された彫刻の断面は、すべて丸味を帯びていて角が鋭く立ったものはない。それはこういう硬い材を削るには、刃物の角度は金属を削る工具の刃のように直角に立てないと奇麗に仕上がらないからである。一方、用材が柔らかい場合は切削角を小さくしないと削れないから、ノミあとは鋭くとがってシノギが立つようになる。これが飜波式衣紋である。清涼寺釈迦像の丸味をもつ凹凸の衣紋を繰り返した彫り方は、硬い材と角度の大きい刃物から必然的に生み出される形式なのである。
 なおここで用材がいったん定着してしまうと、なかなかほかの材に移っていきにくいものだということをつけ加えておこう。先にも書いたように、法隆寺金堂の天蓋はヒノキで作られているが、それについている彫刻の当初につくられたものはクスノキである。ところが同じ天蓋の彫刻で鎌倉時代に補修したものはヒノキになっている。ここでも元の用材が何であったかについては無頓着であることがわかる。法隆寺百済観音の宝瓶もクスノキの本体にヒノキがつけられていて、清涼寺釈迦像の台座と同様に異種の木のコンビになっている。
 以前に私は法隆寺五重塔の心柱が朽ちて、空洞になっていた地下の穴から出て来た小さな木彫仏を調べたことがある(空洞については第六章を参照)。用材はヒノキであった。飛鳥の彫刻はすべてクスノキのはずだから、これは新しい発見かと思ったが、専門家の鑑定では様式的にも鎌倉期のもので、おそらく心柱を囲む須弥山の上にあったものが、後方に落ちたのだろうということであった。このように用材と様式とは深いつながりを持っているのである。
*清涼寺・釈迦像の台座には3種類の木が使われている